II.調査研究
3.成績
A.小学校の欠席率によって見た市内インフルエンザ流行状況
3)県医師会・厚生省のインフルエンザ流行情報との比較

まず始めに,群馬県医師会が行っている「インフルエンザ(インフルエンザ様疾患を含む)患者通報状況報告」(県医師会は,すでに1976年度から「流行性疾患患者通報情況報告」を行っており,厚生省の感染症サーベイランスが始められてから,前記のごとく名称が変わっている)の中から,前橋市分を抜粋して比較してみよう。

〔表8〕に年度別総届出患者数と,その中に含まれる小学生分について再掲し,総数に対する割合を%で示した。この「報告」の年齢階層区分は,「乳幼児」「小学生」「中学生」「高校生以上」となっているが,各年度の年齢階層別割合は〔図3〕のごとくである。どの年も,「高校生以上」が割合としてもっとも多く,次いで「小学生」「中学生」「乳幼児」の順であり,各流行期を通じて,そのパターンに大きな差はない。1980,1981年度は,12月から翌年の3月まで報告を求めているが,1982年度以降は,12月から翌年の2月で終了している。〔表8〕に示したのは,各月の総計である。

「1980.11〜81.3」の届出患者数が予想外に少ないのは,この項の始めに述べたごとく,厚生省の感染症サーべイランスが開始された時点で,県医師会の本事業は,一旦中止されまたすぐに再開されたという事情があったので,その影響があったのではないかと考えられる。その翌年も少ないが,これは3月のAH3N2型の流行が,多くの診療所ではインフルエンザとして把握されなかったからではないだろうか。しかし「1983.12〜84.2」のAH1N1型流行において,届出患者数が非常に少なかったのは,これは逆に,推定延欠席児童件数の補正値の方が実情に即していることを示していると考えられる。

総届出患者数に占める小学生の割合は,1980年度から4年目までは,25%前後に一定していたが,1985年のB型流行では,30%を越えた。これはこの時の爆発的な流行状況を反映しているとみるべきであろう。逆に,その翌年の割合が20%と低いのは,流行の衰退期に,学校は冬休みに入ってしまったことを反映していると考えられる。

この調査の届出患者数については,インフルエンザと普通の「かぜ」との鑑別診断の難しさにより,届出医療機関の診断基準に多少の偏差のあることは否定できない。しかし,この調査には市医師会員全員が参加していること,しかもメンバーには大きな異動はなく,経時的に一定の条件下で行われていること。また,この調査には,市内の国公立病院が参加していないが,これらの病院に受診するインフルエンザ患者の割合はそれほど大きいとは考えられないこと,などをもって,これが市内流行の指標としては,優れたものといえるであろう。

以上の検討を元に,小学校の流行状況は,市内流行の状況とよく平行し,市内流行の規模をよく反映していると考えてよいであろう。

次に,厚生省防疫情報による全国インフルエンザ様疾患発生数と比較してみよう。1980年度〜1985年度分について〔表9〕に示した。この数値は,全国の高校・小中学校・一部の幼稚園において,学級閉鎖の行われた際に,その直前の日の病欠者・発熱者をもってインフルエンザ様疾患として集計したものである。各県から週報として報告されたものの集計が,その流行期の発生数として発表される。すなわちこれは,わが国における,学校集団の流行規模を示すものであり,実は厚生省の場合も,これをもってわが国の流行規模の相対的指標としているわけである。

これを,前橋市の推定延欠席児童件数と比較して見ると,1980年度の値を1.0として見た場合,1981,1984,1985年度の流行規模は,全国の場合の方が約2倍くらい多いが,増減のパターンは両者よく似ている。

次いで同じく,厚生省による全国インフルエンザ様疾患発生数曲線と比較して見よう。前述の週報に基づいて,半対数グラフに描かれているので,前橋市の流行曲線も半対数グラフに措いて比較することとした。〔図4〕に示したごとく,各年度とも,流行時期,流行期間,流行規模の相対的関係,そして流行のパターンさえも,驚くほど似通っていることが分かるであろう。

すなわち,前橋市内小学校におけるインフルエンザ流行状況は,全国的に見た学校流行状況とよく一致しているということである。わが国は,全体として見ればインフルエンザワクチンの学校集団接種地域である(全体として見れば,接種率は決して高くはないが)。これと比較して,非接種地域である前橋市に,特別な流行状況が発生しているわけではないことが言えるであろう。


[前へ-上へ-次へ]