Re2: 鍼灸師のぼやき
haripo/医療
2003/6/21
久しぶりに風邪を引きました。
なんとなく頚部の緊張が抜けない感じだったのが、風邪を引いたらその緊張が急に変化してきて、「やっぱり風邪は、慢性疲労が快復するためのトリガー(きっかけ)なのだなぁ」と確信するのでした。今回は頚部の緊張が抜けるときっと風邪も治る。
この話をもう少し砕いてご説明しますね。
まず、私たちには日常的に疲労があります。自覚される疲労は筋肉的な疲労です。精神的な疲労でさえも、肩や腰の緊張ということで表現されます。そして、筋肉的な疲労とは筋肉の硬直化のことです。
疲労の蓄積が少ない場合には、軽い運動や入浴、睡眠などの休養によって筋肉の硬直化は緩和されます。
しかし、緊張が累積すると、だんだんと緊張が弛まなくなる。
こういう状態を東洋医学では「気のめぐりが悪い状態」といいます。
科学的に言えば、慢性筋緊張によって循環や代謝が阻害されている状態とでもいうことでしょうか。
そのような状態が続けば、例えば局所の免疫力が低下します。
頚部などの緊張は、扁桃輪(のど)の抵抗力に悪い影響があることが予想されますね。
すると、ある人はのどに感染が起こる。つまり感染に抵抗するだけのシステムが不全であるわけです。
いったん感染により炎症がおこると、感染に対応するために局所の代謝が急速に快復します。炎症は新陳代謝が高まった状態です。
この一連の対応システムの中で、慢性的な筋肉の疲労も内から弛緩がはじまる。きっと代謝の確保などにとって重要だからでしょう。
とにもかくにも、そのようにして、慢性的な疲労が快復をとげる。東洋医学的な見方をすれば、風邪をひいたら気のめぐりがよくなったということになる。
症状が必要なのか、抑えるべきなのか、と質問されたら、メリットがあれば症状を歓迎するということになるでしょうか。(日常的に経験する大方の病気には、意味とメリットが見出せます)
その場合には目先のわずかな苦痛など関係ない。親心はわかりますが、「体育の時間だ」とでも思って、苦しみも前向きに体験させる。病気を経過して成長する体力というものもあるのだと考えます。
子供は日常の反応性が非常によいものです。namyさん質問された反応性の工夫など特に必要ありません。
さっきまで元気だったのが、いきなり高熱を出した。そういう体であれば反応性がよい。
しかし、多くの方の観念は、そういう体を病弱と思っています。
そして、反応性が鈍くなるような工夫を健康のためだと信じている。
だからこそ、方法論だけ「自然な方法で」といっても無理だと申し上げるのです。
現代人的なつまみぐい方法論の統合は、健康や病気への対応に混乱と矛盾を広げるだけです。
要は、方法論やノウハウではなく、身体とのかかわりをどう考えるのか、そのイズムにあるのですね。
どのような身体とどのような成長を願うのか。
ゼロリスクでなるべく無事にと願うなら、「自然な方法」はあまり適しません。
自然な方法には淘汰圧がより多く作用する。生命に負荷が大きい。
だけれども、そのような負荷が、よりしっかりした成長、大きなリターンにつながる。
その辺の価値観がしっかりしないと、なにも結果につなげることができないと思います。
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