Re: 回答(感染症との共存を)
まつ/父親
2004/2/24
私の回答は以下です。
日付は1月20日になっていました。
〜ここから〜
ご連絡いただき、ありがとうございました。
カンガエルーネットの管理者の一人です。
私の考えをまとめてみましたので、ご査収ください。
なお、以下は、カンガエルーネットの意見ではなく、一個人の意見です。時間がなかったので、うまくまとまっていません。申し訳ありません。また、番組の主旨からも外れている可能性大です。その場合は無視していただいて結構です。
> 4. 感染症について。自由なご意見をお願いします。
> 5.その他(ご自由にご記入ください)
まずは、感染症一般論から。
そもそも、感染症を撲滅してしまおうという方針に、常に疑問を感じています。
1. ウイルスを撲滅する、あるいは活動を弱めることが、逆に、新たなウイルスの発生(突然変異)を促さないか。
2. 感染症を避けることが、人体の抵抗力を弱めることにならないか。
以上の2点に関して補足します。感染症については、個人の利益と社会の利益が一致していないと思います。当然ですが、個人個人にとっては、感染症による死亡をいかに回避するかが最大の利益です。しかし、社会全体にまで広げた場合、本当にそういえるのでしょうか? ひょっとしたら、感染症を撲滅しない方が「結果良し」となるかもしれません。
3. ハクビシンのように、感染源の可能性があるという理由だけで大量処分してしまう感覚の醸成。
人間だけが良ければ、、、という発想ですね(環境破壊と同根)。新型感染症と大騒ぎされたウイルスが、実は以前から存在していたことが判明するケースがあります。つまり、医療技術の進歩によって人間が「発見」しただけ。未開の地に人間が入り込んでいった結果、致死率の高い新たな感染症を広げるケースも多くなっています。人間中心の思考から脱することも必要です。
100年以上先のことを念頭に置き、「感染症といかに共生すべきか」という視点に切り替える必要があると思っています。
では、一親としての視点ではどうか?
確かに、感染症で子供を亡くすのは悲しいですが、人間といえども生き物である以上、亡くなるのは当然のことです。それに、感染症に限らず、死亡するリスクというのは日常生活のなかで常に隣り合わせです。たとえば、麻疹で死亡するリスクと、交通事故で死亡するリスクは同じ程度、とか。
ですから、「絶対に子供を死亡させない、そのためには様々なことを犠牲にする」というスタンスではなく、「子供が死亡するのはある意味当然のこと。だから、常に一生懸命子供と向かい合って今を大切に生きよう」ということを心掛けています(大げさ?^^;)。最終的に、子供が老人になったときにも健康に生活できるように、と願っています。
> 1. SARSをはじめとする、新興感染症について。国の対策は万全だと思
> いますか?国はSARS対策として情報提供や相談窓口の設置、予防、訓練
> の実施などの取り組みを行っています。また、去年、感染症法を改正し
> て、第二次感染を封じ込めるため国の権限を強化しました。果たして対
> 策は万全だと思いますか?
過剰だと思います。
> 2. SARSなどの新興感染症が発生した場合、どんなことが不安ですか?
行政・マスコミの過剰反応でパニックが広がる事態。
> 3. 「強制隔離」などの強制権について。どこまで認めるべきだと思い
> ますか? どんな場合に認めるべきでしょうか? 海外ではすでに感染
> が判明した患者だけでなく、感染の疑いのある人やおそれのある人の強
> 制隔離が認められている国もあります。日本ではSARSと天然痘に限り、
> 国の強制権が執行できるよう、法律が改正されました。これについて人
> 権を侵すおそれがあるという指摘もあります。あなたは国の強制権につ
> いて認めるべきだと思いますか?それはどんな場合に認めるべきでしょう
> か。
最小限(医療関係従事者など)以外は、認めるべきだとは思いません。
〜ここまで〜
以下の文章は、NHKの方と何度かメールでやり取りをした後、NHKのホームページに投稿した文章です(自由投稿の013)。2月10日付けです。500文字という字数制限があったので、ずいぶんとコンパクトになってしまいました。
〜ここから〜
感染症を撲滅してしまおうという方針に疑問を感じている。大半のウイルスの自然宿主が野生動物である以上、根絶という選択肢は非現実的。ウイルスの活動を弱めようとする行為が、新たなウイルスの発生(突然変異)を促すことにならないか。
ウイルスと人間が対立する構図を強めていくと、ウイルスはますます手に負えなくなっていくと思う。SARS・鳥インフルエンザが「強い感染力」を身に付ける方向で変異していったら一体どうするのか。人類の将来をもっと長い目で捉え、「感染症とどう共存するか」という視点に切り替えることが必要。目の前のリスクを避けることだけが危機管理ではない。
感染症に関しては、確かに、個人の利益と社会の利益が一致していない。通常は、公衆衛生の観点から個人の権利が犠牲にされ、今回のSARSでも強制隔離などが正当化されている。しかし、感染症と共存していくという考えに切り替えると、個人が犠牲にすべきは「ある程度の自然感染に伴うリスク」と違った結論になる。
今回のSARSの件では、政府・WHOによる「対策」はあまりにも過剰だと思う。強制隔離も、医療従事者など最小限以外は認めるべきではないと思う。
〜ここまで〜
この時点では、まだ自分の考えをしっかりまとめることができていなかったと反省しています。収録後の感想で、もうちょっと詳しく書いてみたいと思います。
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