手当てはどうあるべきか
haripo/医療
2004/3/2
総括的にお答えいたします。
家庭における手当てですが、今の自分の価値観にそったものであるならば、それでよいとおもいます。というより、それしかできない現状なのですから。
ただ、いつも高い関心をもって、他の価値観に接し、共感したりショックを受けたりして、自然に考え方が変わってゆく。
すると、できること、するべきことの方向性が変わるかもしれない。いつでも、そのときにできることがその人なりのベストだとおもいます。
いま、どんなに根拠をしめすことができたとしても、すぐにホメオパシーや、その他の方法を切り離すことなどできないでしょう。まあ、切り離す必要もない。価値観の変化にはステップと時間経過が必要です。
私の主張が、みなさんの価値観にとって多少のスパイスになっていればよいと思います。

野口整体に接点がおありなのですね。
私もとても関心がありますし、その思想性には深い尊敬と共感を感じます。

自然治癒についての野口整体ではこのような説明をしています。(私なりの解釈です)
「自然治癒とはなにもしないということではない。整えて経過を待つ」
ここでいう「整えて経過を待つ」とは、体の歪んでいるのを真っ直ぐ正すというような短絡的な話ではありません。もっと深い意味があります。
不安や怖れといった心的緊張。過去のトラウマによる緊張。
肉体に累積した疲労による硬直。
整えるとは、こういったものを技法的に処理して、深く呼吸ができ、とても落ち着いた状態で病気が経過できる心身の在り様を形成すること。
また、このような趣旨のことも言っております。
病気のほとんどは、正常な状態に戻ろうと正しく反応している状態なのだから、それはそれで正常な機能しているということであって、突き詰めれば病気とは健康のひとつの形態である。
病気の時は、代謝が亢進し修復を加速させている状態なのだから、病気という機会を利用して、普段の体に対する不自然の負荷を解消することを考えれば、病気の経過と経験によってもっと健康になれるのである。

このような考え方をした場合には、手当てとはどうあるべきでしょうか。


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