おはようございます namyです日頃のご苦労、お察しします。> ところがそういう親御さんとお話してみると、その要求はぜんぜん自然ではない現実にぶちあたります。> > 多くの方は、西洋医学的な発想のことを、他の代案でやろうとしているに過ぎません。「代替療法」って言葉を最近知ったのですが、なんだか違和感がありました。まず、西洋医学ありき、で、他に替わるものという雰囲気が漂ってきたので。西洋医学にも東洋医学にも得意分野と不得意分野があると思います。私個人としては、救急救命や進行の早い病気の時は西洋医学を中心に受けたいし、慢性的な全身の歪みやバランスの崩れから来るような病気の時には東洋医学を中心に受けたい。で、どっちの医学の専門知識もない素人としては、どっちも一度に相談できる場所があるとどんなにいいかなぁ〜とつい思ってしまいます。おいしいとこどりと言われてしまうと、ホントそうですね。日々の診察の中で、この症状は病院に行った方がいいぞ〜という患者さんがいらっしゃることはありませんか?例えば、私が通っている(そういえば。。。最近は運動でだいぶ改善されたのか、しばらく行ってませんわ)整骨院の先生と話したとき、たいがいのものは時間をかけてじっくり治す(体全体から調整)が、病院に行った方がいいと判断したばあいには一応紹介している(それでもそこで治療したいという患者さんは受け入れてるようですが)とおっしゃっていました。> 例えば咳が出ているなら「咳を止めてください」という。子どもを持ったばかりの頃は、熱が出た!→下げなきゃ!!鼻水が出た!→止めなきゃ!!ってマジで思っていました。だから、上の子はよく小児科に連れて行ってました。(私の母もその発想の傾向があるので、病院の薬がないと病児の子守をお願いする時不安がりますし。)でも、解熱剤の話や熱はなんのために出ているかといった事を知って、下げればいいってものでもないんだなぁ〜と思うようになりました。なので、下の子は様子を見ている間に突発も終わってしまった。。。たまにヘルプしてもらっている母もだいぶ慣れてきたようです(最近の育児ってこうなのね〜と勝手に思っているらしい)。> 現代医学の薬には「毒性」があるからあまり飲ませたくないが、咳は止めてあげたい。> そこで、ホメオパシーだとか鍼灸だとか、そのほかの民間療法だとか、なんでも登場してきちゃう。> これって本当はとてもおかしいことなのです。> 方法論だけが自然をもとめ、発想は現代医学のままです。> 現代医学を「不自然の代表」のように言っていながらですよ。> > 自然、不自然をいうならば、それはまず物事の捉え方、発想を考え直さなければならないでしょう。自然、不自然の定義って難しいですね。人間の存在自体が不自然って話もあったりして。。。私が環境のことを考えるときにもこの自然、不自然の壁にぶつかることがあるのですが、そのときにはもちろん人間ありきで考えますが(^ ^)。> 違った発想で考えてみれば、咳ひとつとってみても、その症状はあったほうがよいと結論されるかもしれない。これは、やはり何か(歪みとかバランスとか開閉とか)を自分で治そうとしている現われととらえるのでしょうか?> 「自然な」という形容詞は、そういう世界に存在する気がします。> > そして、もしもそのときに、「いいえ、私はないほうがよいと思う」と結論されるなら、その発想に適合した方法論を選択すべきと思います。目の前で非常に苦しそうに咳をしている我が子がいたら、親としては少しでも症状を楽にしてあげたいと思います。でも、実は、東洋医学の観点から見ると、総ての症状には意味があって、取り除かない方が良かったりするのでしょうか?ケースばいケースの話になってしまうとは思うのですが。あと、東洋医学的な治療を受けるには、日頃の体の反応性(みたいなもの)を磨いておく(鍛えておく?)必要があるように思いますが、その辺のことも教えていただけると嬉しいです。