とても繊細な問題なので正しい意見が出せるか心配です。とりあえず、今の問題点は、「子供を正しく知る代わりに子ども自身が受ける犠牲の兼ね合い」という表現で良いでしょうか?そう受け止めてコメントします。私の子供は身体障害者であることが先日分かりました。具体的な状況は「片麻痺」です。随分前に「左利きor麻痺?」という書き込みをさせてもらいましたが、おそらく覚えてる方は少ないと思います。私達は産まれた時から我が子の他の子とは違う動作があることに気づいていたものの、1.知的障害が無いこと2.体の何処に問題があるのかアドバイスがもらえなかったこと3.調べる上で安心して預けられる医療機関が無かったことで、あまり騒がず自分達で工夫して動作緩和をアシストするよう工夫していました。何かにつけて「まずは大きな病院へ」で片付けて、具体的に何科へ行けば良いのか示さない医療関係の方に対する不信感も手伝って避けていたのは事実です。『障害者だ』と言われる事を避けてたのではありません。そんな私達が調べるきっかけになったのは3歳児検診の際に見てもらった先生のやり方と、我が子の反応です。1.先生は動作確認をさせた後、子供のいる前で「お母さん!この子おかしいわ!絶対に!こんな動きしない!」と言いました。2.その夜、TVを見てた我が子が突然、おかしいと言われた右手を器用な左手で捕まえて動かし始めました。3.「どうしたの?」と聞くと「この手、何かおかしいんだよ」と言いながら又動かしたのです。今では本当に信用できる医療機関に見てもらい、子供も自ら訓練を実施しています、子供の可能性は無限大です。ただ本音を言えば怖かった時期があります。病院に行くことを決めたものの、1ヶ月程度予約待ち状態の時がありました。その時、「麻痺程度では済まずこの子とお別れをする(死亡する)事を調べに行く事になるのでは」と思いました。しかし、調べることは子供を正しく知る事。我が子を知る事は親の最低限の務め、と思い調べに行きました。現在、幼稚園選びを実施しています。が、障害者に対する社会の壁は厚いものだ、実感しています。門前払いが多いです。しかし正しく知ったことにより、正しく言い返せているので本当に良かったと思ってます。求めれている事にふさわしい回答か自信が持てませんが、助けになれれば幸いです。もし見当違いな場合は無視してください。