> 「あの先生は善い先生だ」、と思う前に「あの先生の悪いところはどこだろう」と想像性を働かせることが庶民(弱者)の大きな武器にもなります。こういう風に人を見ることは反対です。また人にすすめることではないと思います。そういう姿勢を保っていては、逆に見えるものも見えなく、人間関係もギクシャクしてしまうのではないでしょうか?いろいろ勉強なさって、いろんな知識をお持ちのようですが、本や記事、一般論など、ご自身の体験から出た言葉ではないような気がします。クスリ嫌いの親さんが、今まで出会われたのは、そんなにひどい方ばかりだったのでしょうか?受けた治療はそんなにひどいものだったのでしょうか?そうだとすれば、本当にお気の毒に思いますし、このような発言も仕方のないことなのだと思います。今後、もし医療機関にかかることになるなら、よい医師にめぐり合いますことをお祈りします。非常識な医者もいるでしょう、でも、懸命に頑張ってくださっている医者もたくさんいると思います。ひとくくりに、『医療は〜』『医者は〜』で、論評を進めていくのは、猜疑心をまだ持っていない方をより惑わせると思います。怒りは、時に自分自身を苦しめます。不必要な怒りや疑いは持たないほうが良いと思います。医者の言葉を鵜呑みにしないですむよう、普段から自分自身で勉強しておくこと、アンテナを常に張っておくこと、は大切だと思いますが、これは「疑う」というのとは違うと思います。とても、勉強になりそうな、クスリ嫌いの親さんのコメント、「こういうこともあるそうですよ、お気をつけてくださいね。」ぐらいで、お話をしていただけたらと思います。