haripoさんが教えてくださったから朝一番で行こうと思って、会場についたら11時前でチケット販売待ち2番目でした。はは。なんだか養老孟司さんの話題ばかりになっちゃいますが、「解剖学教室へようこそ」っていう著書を読んだときに、なるほど〜と思ったことがあったのです。「人体にはくまなく名前がつけられている。名前がつけられた部分の間には境界ができる。その境界は自然に存在するものではない。考えようによっては名前をつけるから、境ができるのである。こうして人体が切れる」「名前をつけることはものを切ることである」たとえば「肩甲鎖骨三角部」(ちなみに鎖骨のちょっと上)それみるだけでも、覚えられないや〜と思っていたのですが、場所を明確にするためには名前をつける必要もあるわけですよね。人体の部位って結構、漢字が多い名称が多いですよね。そのために長たらしい名前になったりする、これは人間の都合で、伝えるための手段でもあるわけですよね。長く難しい名称でも、ものを伝えるためにはしょうがないことなんだ〜と(かといって覚えるわけではないのですが)思うとなんか長たらしい名前も、細かく体の場所を示そうとしているんだ〜と納得したのです。あ〜、わかりにくかったらごめんなさい。haripoさんがおっしゃるように特別なことじゃなくって、自分のこと、自分の体を大切にするきっかけにもなりますよね。