はじめまして、みなさんよろしくお願いします。namyさんのご意見を読ませて頂いて、とても共感しました。以下の文章は、あくまで今現在の私の気持ちです。こうやってnamyさんに便乗させて頂くことで、namyさんの足を引っ張るようなことがありませんように…。そして拙い考えを披露することを、どうぞご容赦くださいませ。今、1歳5か月の娘がおります。今のところ予防接種は受けておらず(破傷風は近く予定していて、麻疹は自然罹患していなければ小学校就学前に予定はしています)、10ヶ月検診の時に予防接種を受けていないことで小児科医と口論になり、最後は罵られて泣きながら帰ってきたことがあります。その後、何を聞かれても答えられるようにと、問答をシュミレーションしたり、ネットで調べたりで、挙句ノイローゼのようになってしまいました。結局、いくら調べたところで、量的に「予防接種は打つべき」サイドの見解やデータばかりなことに圧倒されてしまうので、それを押しのけようとする気持ちが私を反論へ向かわせていた気がします。勿論、知識や情報は持っているに越したことがないし、ある程度の理論武装が必要なときがあると思います(特に行政に対しては。予防接種を受けていないことで、お子さんが保護されそうになった場合など)。ただ、医師との関係においては、いくら理論武装したところで専門分野である医師を論破などできない気がしています(医療関係者しか見れないデータソースやサイトがある現実を目の当たりにすると)。結局、信条VS信条では話が平行線になるだけで、まるで国際情勢と同様、簡単に話の折り合いがつく次元の問題ではない気がします。ということ自体を、おそらく予防接種推進派のお医者さまの多くは分かって下さらないと思います。なぜ医学の問題を科学的に説明しているのにそれで説得されないのか、理解しがたいでしょうし。私は、人が行うことを科学の立場からのみ考えるということができません。どうしても文化的にしか考えられないのです。そして、強制されるのは嫌だけれど、国家資格である医師が国サイドの考え方をするのも仕方がないと思うし(諦めモードでごめんなさい)、予防接種が必要だと思う考え方も人達も決して嫌ではありません。そして何より、喧嘩や争いが嫌だ、ということに最近改めて思い直しています。自分の考えも持ちつつ、でも争わない方法はないものかしら、と…。なので、今回namyさんの文章を読んで、私も医師とは闘うのではなく質問したり相談する気持ちで向き合ってみようと思いました。少しドクターハラスメント(を受けたと「思い込んでいる」)の傷が少し癒えました。ありがとうございます。「宗教上の理由」というharipoさんのアドバイスを読ませて頂いて、私の立場は、きっと科学的な立場から見ると宗教と言われても間違いではないだろう、と思いました。信仰の始まりが自然に対する畏怖に由来するのであれば、その延長線上で病気を悪だと思えない私は宗教的な人間でしょう。納得してしまいました。もう医師に予防接種のことで嘘をつくのも、話を有利に運ぼうとするのも嫌なので、「宗教上の理由」と話してみるのはしっくりする気がします。haripoさん、ありがとうございます。目の前のわが子は元気そのものなのに、不安や恐怖から猜疑心にかられ過ぎているのも、わが子を見失っている気がしていたので…。主人は私以上に予防接種を前提にしないタイプなのですが、いつも「不安や恐怖からワクチンを選択するのなら、しないほうがいい」と言われます。不安や恐怖からではなく、必要だと思えたときに接種したいものです。勿論、常に迷いながらではありますが…。ちなみに、知り合いのご老人が結核のために徴兵をまのがれて「おかげで戦争で人を殺さないですんだ」とおっしゃったのが印象に残っています。勿論、これは結果論でしかないし、戦争と同様に沢山の方が結核で亡くなっているので、病気は悪いものじゃないという根拠にするのは間違いですが。なんだか、愚痴や独り言のようになってしまいました、長くてすみません!