II.調査研究
3.成績
D.HI抗体価によって見た小学校のインフルエンザ流行
1)型別・採血時期別・学校別抗体価分布状況
採血時期別学校別被検者数は〔表13〕に示した通りである。
5小学校のうち,大利根小は1984年度より学区変更により,約40人増加した外には,採血時期毎の被検者数に大きな変動はない。
各時期別総被検者数は平均約600人である。延被検者数で見て,採血予定者の95.4%が採血を受けた。採血できなかった者のほとんどは,病気で欠席あるいは採血辞退による。
HI抗体価測定のための採血量は5mlとした。採血後のトラブルは一例も認められなかった。採血後直ちにアイスボックスにいれて県衛生公害研究所に搬送し,ルーチンの方法で血清分離し,フリーザーに凍結保存した。そして流行期を挾む11月分と5月分(1986年は3月分)を,翌年の6月(1986年は4月)に,同時に同じ測定株で測定した。残余血清は後の検討に備えて,再び凍結保存してある。
抗体価測定に用いたウイルス株は〔表14〕の通りである。各年度は学校年度であり,その年の4月から翌年の3月までを含む。表中*印はその年度内の流行について検討する際に用いた測定株を示す。同じ型のウイルスについて,二種の測定株で測定している場合,いずれか一方の株による抗体価をもって検討を行ったが,その理由については後に触れる。
〔図9〕〔図10〕〔図11〕は,型別・採血時期別・学校別に抗体価分布状況を,曲線をもって示したものである。
〔図9〕はAH1N1型の抗体価分布の推移を示したものである。1981年1月〜3月に流行があって,1983月11月の抗体価分布曲線は,5小学校とも抗体価128倍にピークを持つ曲線を描いている。その後曲線は全体として左方へ,すなわち抗体価の低い方へ次第に推移している。1983年12月〜1984年2月にまた流行があったが,この時の流行は小さなもので,敷島,勝山,大利根各小学校で感染率20%台,笂井小学校では僅かに2人(4.1%)であったが,荒牧小のみは38.4%の感染率を示した。従って,先の3校では抗体価の高い部分,すなわち右方の裾野がややながくなった程度の推移が見られ,笂井小では推移停滞の状態で,荒牧小では明らかに抗体価分布曲線の右方推移が認められた。5校全体として見て,僅かに右方推移が見られる程度であり,流行の規模に対応して集団免疫に与える影響も小さなものであった。
1984年11月以後の測定株はA/Bangkokに変わったが,抗体価推移の連続性に影響を与える程のものではなく,全体として見てゆっくりと抗体価が低下していく様子が見られるであろう。小数例ではあるが,笂井小の場合に典型的である。言うまでもなく1983年12月〜1984年2月の小流行のブースター効果は多少なりとも考慮にいれなければならぬであろう。
ひるがえってこの図から,自然感染によって得られた免疫がいかにしっかりと保たれているかも見ることができるであろう。
やがて迎える1986〜87年の冬の流行予測によれば,流行株はAH1N1型で,比較的大きく変異した株が流行すると考えられており,従って流行規模もかなり大きなものになるであろうと警告されている。この図によって見ても,変異株の流行がおこればかなりの規模のものになるであろうことは十分推察できる。
〔図10〕は,AH3N2型の抗体価分布の推移を示したものである。流行は1982年2月〜3月に敷島,大利根小に小流行があり,翌年1983年1月〜2月には5校全校に中規模の流行があった。その3年後,1985年11月〜12月にまた流行があった。それぞれの流行に一致して,抗体価分布曲線の右方推移がみとめられる。抗体価の減衰状況については,AH1N1型の場合と変わりはない。抗体価はきわめてよく保たれている。
ただし,1981年11月〜82年5月の抗体価測定は,A/BangkokとA/新潟の両者で行っている。後者は破線で示したが,見て分かる通り,<16倍の被検者数の多いのが特徴である。この場合でも流行後には,もちろん分布曲線の右方推移は認められるが,流行前分布曲線のピークが32〜64倍にあるようなパターンの場合に比較して,感染者数が少なめに出る傾向がある。この点についてはB型の場合について後で述べる。いずれがより現実の流行株に近いのかはこれだけでは分からないが,少なくとも後者のパターンは,大きく変異した流行株によって測定した場合の分布曲線を暗示する。
最後に〔図11〕は,B型の抗体価分布曲線の推移である。流行は1982年1月〜2月と1985年1月〜2月にあった。推移の一般的特徴はA型の場合と大差はない。しかし,図上実線で示した部分について言えば,1981年11月から1985年5月まではB/Singapore,1985年11月と1985年3月はB/USSRによる測定であるが,特に前者により測定した部分について見ると,1982年5月の流行後の抗体価分布において,ピークは32〜64倍にあり,その後の推移においてもA型に比べて<16倍における被検者の多いのが目に付く。1985年1月〜2月の流行後の抗体価分布がA型において観察されたのと同じようなパターンを示しているのを見れば,B型においては,抗体価が上がりにくいことが考えられる。しかしなお,それが測定株の性質によるものか,被検者のB型既往の回数が少ないことによるのか,確実には決められないが,おそらく後者の原因によるのではないかと考えられる。何故ならば,過去の流行記録から見て,B型流行の頻度の方が低いからである。
1984年11月と1985年5月の測定は,B/SingaporeとB/USSRの両者によって行われた。〔図11〕においては,前者は実線で,後者は破線で示されているが,後者による測定は著しく<16倍の者の割合が多い。そして感染率は,前者によれば57.8%,後者によれば51.3%と6.5%の差があり,前者の方が高い値を示す。しかしその関係は単純ではなく,いずれかに4倍以上の抗体価上昇を示した者の率すなわち感染者率は64.3%となり,そのうちで両者の測定株に上昇を見た者は69.7%,B/Singaporeにのみ上昇を示した者は20.2%,B/USSRのみに上昇を示した者10.1%であった。
ここではB/Singaporeによる抗体価を元に以後の検討をおこなったが,測定株の選択の問題は重要であることを示していると考える。とにかく,抗体価分布において,<16倍・16倍を示す者の割合が多いような場合には,その範囲内での抗体価変動は,4倍以上の抗体価上昇を以て感染と判定するやり方を取る限り,感染とは見なされない場合が多くなると予想しなければならない。
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