まつ です。主に後半部分へのレスです。引用順序かえています。> 要は、方法論やノウハウではなく、身体とのかかわりをどう考えるのか、そのイズムにあるのですね。この辺りは、私が考えていることと全く同じなので、ちょっと安心しました。このように、はっきりと書かれた文章は、なかなか見つけれらないので。。。> その場合には目先のわずかな苦痛など関係ない。親心はわかりますが、「体育の時間だ」とでも思って、苦しみも前向きに体験させる。病気を経過して成長する体力というものもあるのだと考えます。でも、結局、「親心はわかりますが」のところがネックになってしまう気がします。素人には「わずかな苦痛」かどうかはなかなか判断できないので、どうしても最悪の事態へ進んでいるように感じられてしまいます。ですから、たとえ頭では分かっていても、実際に目の当たりにしてしまうと、なんとか取り除いてあげたいと感じてしまうのも、自然な親の反応だと思います。> ゼロリスクでなるべく無事にと願うなら、「自然な方法」はあまり適しません。> 自然な方法には淘汰圧がより多く作用する。生命に負荷が大きい。> だけれども、そのような負荷が、よりしっかりした成長、大きなリターンにつながる。ここまでのお話も、おっしゃる通りだと思います。でも、そう割り切れる親は少ないでしょうね。。。なにしろ、身の回りには、病気を回避できる手段が多すぎます。余談ですが、私が子供の育て方(病気に限らず)で迷ったとき、疑問に思ったときは、200年前、500年前ならどうしていたかな?と考えてみることがあります。