先週娘(8ヶ月)が息をひきとりました。ほんの数時間前まで普段となんら変わらず、パパとお風呂に入ったり母乳を飲んで寝たのです。私が異変に気付く迄は…。本当にそれまで娘はいつもと同じようにお兄ちゃん(1歳)と一緒に玩具やお菓子の奪い合いをし、イタズラもし食欲もおおせいで正直彼女が何故亡くなったのか今でも解りません。私が異変に気付き救急で病院へ搬送されてからも彼女は精一杯私達の元へ戻ろうと頑張りました。こういった原因不明の死(救急で初診の病院へ搬送されると)は警察へ通報が義務付けられているとのことで、娘が息をひきとってから一時間もしないうちにその場で事情聴取を受けました。私も主人も別々に。その間主人の聴取をしていた警察官は携帯をいじりながら。また娘も検案を受けました。その検案をしていた警察官に「自宅を見たいから同行するように」と言われて私はまだ娘の体も温かく、人一倍淋しがりやだったので「まだ娘が亡くなったばかりですし…そばにいたいんです。」すると「奥さんね、やましいことがないならトットと済まそうよ。それとも何か見られてマズイものでもあるの?」信じられますか!?いくら型式の事情聴取とはいえ、それが家族を失った者へ向ける言葉とは到底思えません。そのことを知った私の母が、その方を注意したらしいのですが、その時の事を私は許せませんし忘れません。初七日を終えた今でも何故娘が逝ってしまったのか解りません。周りが色々娘のように亡くなったお子さんのことを調べ情報として教えて下さいます。ですがどれも私を納得させるだけのものがありませんでした。…きっとどれだけ情報を集めても納得はできないだろうし、そうやっていることがお兄ちゃんにも周りにもそして何より娘が不安になるだけでは…と頭では思うのですが、正直心がついていけません。まだまだ彼女の為にしなくてはならないことも残された私達の為にしなくてはならないことも山のようにありますが…それでもやはりこれだけ医学の進んだ世の中に原因不明、治療無しの病気が存在するのを子をもつお母さんお父さんに1つの情報として心の片隅にでもとめて頂けたらと思い書かせて頂きました。サイトの管理者様へこちらそぐわなければ削除してくださって構いません。( 携帯からの投稿です )
お別れの話しを聞くと心臓がぐっと潰れる感じがします。そして我が子の健康は当たり前の事ではなく感謝すべき事なのだと深く思います。 先日臨月に入り予定日間もなくお腹の中でサヨナラした赤ちゃんの話しを聞きました。前日の検診は異常なく元気だったのに次の日にお腹が冷たくなり、赤ちゃんは亡くなっていたそうです。赤ちゃんの血液が母体に逆流しはじめていて開腹できずに、陣痛も赤ちゃんの出ようとする力もなく、お母さんは凄まじい痛みで死産したそうです。ご主人に「赤ちゃん買ってきて」と叫んだと聞きました。原因は不明。お母さんは対面せずにお別れをしたそうです。 どうしてか?答えがあったなら気持ちの整理も少しはつきますよね。そしてまたどうしてそうなったか、自分を責めたりしてしまう。体験したことない私が何を言えるか、心軽くなるか頑張っても何も出来ないですが、どうか暖かい気持ちを。精一杯の8ヶ月とお腹にいた時を、体中に走らせて。ママの体の中に戻ってきたと思って体休めて下さい。 これから悲しい思いをするママがいなくなるように、もっと医学の発展と、無神経な人がいなくなるように祈っていきます。( 携帯からの投稿です )
はじめまして。私は5年前の4月、新生児死で二人目の長女を亡くしました。先天性心奇形が原因です。出産するまでそんな重度の心臓病があるとはわかりませんでした。私も当時、娘の病気について亡くなった原因について調べまくりました。娘の病気はおそらく1/100万くらいの割合の珍しい病気で、書いてある書籍はほとんどありませんでした。医師が初めに言った「治療方が確立されていない病気なので助かる見込みはほとんどありません」の言葉は本当だったんだなと納得しました。しかし、(どうしてうちの娘は亡くなったのだろう?)と思いました。いくら正当な理由説明されても、その病気はそういうものだと納得できても、なぜ我が子が亡くなったのか?納得することは今でもできません。多分それはこの先もずっとそうなのだと思います。それは医師を疑っているということではないのです。重度の病気という一般的に見たら致し方ない理由のあった私でさえ、こうなのだからAyamamaさんの混乱する気持ちは想像以上なのだと思います。特に乳幼児突然死症候群の場合、警察の事情聴衆受けさせられるという苦しみの上に、心無い言葉を警察官から投げ捨てられるという話しは残念ながら良く聞きます。Ayamamaさんも本当に辛かったでしょう。今は自分の想いのままに過ごされてくださいね。悲しみも怒りもぶつけられるところを見つけとことんぶつけてください。当時私が先輩天使ママさんから言われた言葉ですが、「子どもを亡くした悲しみは消えることは無い。でもその悲しみを抱えながら生きていくことに慣れることはできる」というものです。もうすぐ長女が亡くなって5年になります、新生児死のうちの場合言い換えれば長女が外の世界で生きていた季節がやってきます。確かに複雑な思いがその日が近付くに連れ増してきますが、去年辺りからそれを嫌だとかどうにかして元気出さなくてはとか思わなくなりました。「慣れた」のだと思います。天使の子育てと地上の子の子育ては全く別物。天使の子は忘れるのではなく、心で育てていくのだと今の私は思っています。亡くなった子の年を数えるなという人もいますが、そんなこと無いと思います。亡くなった娘の成長を想像し何かしてあげるとき、暖かい気持ちになります。Ayamamaさんにも、いつかきっとそんな日が訪れます。今はとてもそんな気分にはなれなくて当然です。真っ暗なトンネルの中に自分一人だけいるような感じかもしれませんが、娘さんのことを想い、悲しみ、怒りなど、表現することで光のある出口に向うことができます。ゆっくり、あせらずに・・・
こんなとき江原啓之さんなら「亡くなった方が心配しないような生き方をしなさい。亡くなった方の物は早めに処分すること。こどもさんのあの世での成長を応援してあげてください」と言うでしょう。お子さんが亡くなったのは寿命としかいいようがないのではないでしょうか。誰が悪いわけでもないのですから。私も幼い子をもつ身。我が子に万が一…と思うと矢も盾もたまらなくなります。娘さんに代わる存在もなかろうと思います。今は存分に娘さんを偲んでください。しかしもう一人、幼いお子さんがいらっしゃり、その方のお母さまでもいらっしゃるのですから、元気なこどもさんのためにも、一日も早く明るさを取り戻してくださいね。( 携帯からの投稿です )
りーふぁさんへありがとうございます。そうですね、今は娘の逝ってしまったことを悔やまない日はありませんが…それでもお兄ちゃんにとっても私は母親ですもんね。ゆっくりではありますが亡くなった娘の為にもきっと誰よりも一番傷付いているお兄ちゃんの為にも頑張っていきます。( 携帯からの投稿です )