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〔資料1〕
インフルエンザワクチン集団接種の効果について
−1977年前橋市の流行についての検討−


前橋市 由上修三,桑島茂夫,八木秀明


はじめに

1977年1月から3月にかけて,全国的にインフルエンザの大流行があり,患者数は240万人を超えたと推定されている。このインフルエンザは殆どB型であったという。普通,B型は爆発的な流行になりにくいと考えられているのに,今回の流行は昨年のA型流行を上まわるものであった。

インフルエンザの流行を防ぐ手段として,我国では中学校,小学校,保育所,幼稚園において集団予防接種が行われている。しかし,毎年予防接種を行っていても,依然として大流行がおこるのは何故だろうか。ワクチンは十分その役割を果しているのだろうかという疑問を抱くようになった。毎年きちんと予防接種をしても流行を防ぎ得ないのであれば,一度ワクチン接種を止めてみたらどうだろうか。止めたら果して今以上の流行を来すのであろうか。そのような素朴な疑問を持ったのが本調査の動機である。

たまたま,前橋市の予防接種状況を調査した所,小,中学校は全校集団接種をしてあったが,保育所,幼稚園では約半数の施設が集団接種を行なっていなかった。そこで接種した施設と接種しなかった施設とを比較することができると考え,以下の調査を行った。

調査成績

1. 流行状況

前橋市内の小学校の学級閉鎖状況を図示した(第1図)。1月末より,2月末までの流行であることがわかる。

2. インフルエンザワクチン接種率と欠席者数(小学校)

小学校はすべて集団予防接種を行ってあったが,その接種率は57%から100%までのバラツキがあった。そこで延欠席者数と在籍者数との比を罹患率の指数として用い,これとワクチン接種率との相関を見た。(第2図)に見る如く,両者に相関はない。即ち,接種率が高くなれば欠席数が減るという成績は得られなかった。

3. 小学校の流行発生時期と接種率

市内小学校のうち,生徒数700以上の小学校を選び,インフルエンザワクチン接種率の低い小学校から順に並べた。一本の横線が一学級の閉鎖を示している(第3図)。流行は大利根小学校から始まっている。これは前橋市内の小児流行性疾患でしばしば見られることで,大利根団地が前橋市西南部にあり,高崎市,埼玉県,東京都との交流が激しいという地理的条件が関係していると思われる。

その他の小学校は2月10日前後から一斉に学級閉鎖に入っている

接種率の60%の敷島小,75%の天川小,84%の桂萱小,87%の城南小では学級閉鎖を行っていない。即ち,予防接種率の低い小学校が流行の先導をしたとは思われない。

4. 地域的流行径路

前橋市内の小学校を地図の上にプロットし,学級閉鎖を開始した日の順序を数字で示した。大利根−総社−二之宮−附属小という順序になるが,殆ど一斉であって,流行経路をたどることはできない。敷島小,天川小のように低接種率で学級閉鎖のなかった小学校も孤立しているわけではない。(第4図

5. 保育所,幼稚園の罹患率

前橋市内の保育所,幼稚園のうち,市立では14施設が集団接種を行わなかった。市立は全施設が集団接種を行ったが,その接種率は30%から80%までのバラツキがあった。市立施設について接種率と罹患率との関係をみると両者の相関は認められなかった。(第5図

6. 集団予防接種を行わなかった施設の欠席率

私立施設では罹患率を正確に把握することが困難であった。そこで,ピーク時の2月14日を選びこの日の欠席者数を調査して比較をした。ここでも,集団接種を行った施設と行わなかった施設との間に差がなかった。(第6図

これを更に,接種率70%以上の施設,50%以上の施設,50%未満の施設および接種を行わなかった施設の4群に分けて比較した(第7図)。平均欠席率で見ると,70%群12.8%,50%以上群14.0%,50%未満群12.3%,接種せず群14.4%で,4群の間に差がなかった。

考按

予め計画された調査ではないので杜撰な点があるが,今年の前橋市内のインフルエンザ流行に関して,(1)小学校においてはインフルエンザワクチン接種率の高低は学校内インフルエンザ流行に影響を与えなかった。また接種率の低い小学校が流行の先導をしたとは考えられない。(2)保育所,幼稚園においては,インフルエンザワクチンの集団接種をした施設としなかった施設との間に流行状況の差がなかった。

現在,わが国においては,インフルエンザワクチンは保育所,幼稚園,小学校および中学校において,健康小児に集団接種することになっているが,このような方式をとっているのは日本だけであり,欧米ではハイリスク小児および老人に選択的に接種されているという1)2)3)。日本で集団接種が行われている理由は,インフルエンザの流行を拡大する基地として学校をとらえ,学校の流行を阻止することにより,ハイリスク児および老人が感染するのを間接に防ごうという発想である。換言すれば,ハイリスク児や老人の身代わりに健康小児が予防接種を受けていることになる4)。海老沢1)はこのような考え方を強く否定し,健康な小児はインフルエンザに罹患しても重症となることはないのであるから,健康小児への集団予防接種は止めるべきであるとし,更に日本と欧米の学者の見解の根本的相違は「人間の生命に対する価値観念の相違」であると強調している。

私達も海老沢の考え方に同意するものであるが,日本の集団接種の考え方が成立するためには,インフルエンザワクチンに流行阻止の能力がなければならない。流行阻止の能力を持つためには発病阻止の能力がなければならないことは自明である。海老沢5)はこの点でも内外の文献を紹介し,インフルエンザワクチンの発病阻止効果を否定している。また平山6)は「インフルエンザという疾患そのものが,流行のたびに少しずつ抗原構造の異なるウイルスによっておこること,抗原ウイルスが咽頭の表面の細胞内で増殖し,血液中の抗体の作用を直接にうけにくいこと,などの理由で期待ほどには効果のあがりにくいワクチンである」とし,佐野7)は「インフルエンザ不活化ワクチンは効くといっても非常によく効くというほどの効果はない」と述べでいる。

そもそも,インフルエンザワクチンは血清抗体は産生するが,気道分泌液中の抗体はつくらない8)9)。これに対し,インフルエンザに罹患した後の気道分泌液中にはウイルス中和性のIgAが出現し,これが感染防禦の働きをするという10)11)。それ故,川上12)の述べる如く「インフルエンザに代表される多くの気道感染ウイルスは気道粘膜で増殖し,短い潜伏期でウイルス血症なくして発病する。故にインフルエンザ不活化ワクチンを接種して血中抗体を高め,ワクチン株と流行株が抗原的に一致しても,気道粘膜に侵入したウイルスは血中抗体の抑制を強く受けることなく増殖し,多少の症状を示すようになるのはある程度,やむを得ない」ということになるであろう。

最近,織田は嬬恋村小学校の流行について詳細な検討を行い,ワクチンを接種した児童と接種しなかった児童との間に罹患率の差がなかったと,本会報に報告した13)。織田の報告はワクチン接種の有無と罹患との関係を個々の児童について比較したものであるが,我々は施設の接種状況と施設内流行状況とを検討した。織田の報告と我々の成績を併せ考えると今年のインフルエンザ流行については,ワクチンは発病阻止にも,流行阻止にも無効であったと言えると思う。

もし,インフルエンザワクチンが発病阻止−流行阻止の能力を有しないとするならば保育所,幼稚園,小学校,中学校で健康小児に集団接種することは全く無意味である。

インフルエンザワクチンは,HAワクチンになってから,副反応が少くなったと言われるが,決して皆無になったわけではない。特にアレルギー素因を有する者では注意が必要である14)15)。したがって,不要なワクチンはできるだけ接種を避けることが当然であって,発病−流行阻止能力のないワクチンの健康小児に対する集団接種は廃止すべきあろう。

我々第一線の医師は,毎年インフルエンザワクチンの集団接種を行いながら,インフルエンザの流行がくり返されることを経験し,同ワクチンに強い不信感を抱くに至っている。疾病の治療に際してさえ,注射を極力避けようとしている今日,インフルエンザワクチンの集団接種は再検討に値すると思うが,どんなものであろうか。

米国の代表的な小児科書であるPractice of PediatricsにおいてLoda等16)は「インフルエンザワクチンはインフルエンザをコントロールする効果はないが,cystic fibrosis,先天性心臓病,糖尿病,喘息(ただし卵アレルギーでない者),リウマチ性心疾患その他の疾患を有する小児には接種することが望ましい」と述べている。もし,インフルエンザワクチンが,インフルエンザを軽症化する能力を有するならば,ハイリスク児に接種することは有益であろう。しかし,この点についても明確な証拠は乏しい。前記織田はこの点についても否定的である。

いずれにしても,健康小児へのインフルエンザワクチン集団接種は一時中止し,より有効な生ワクチンの開発に力を注ぐことが望ましい,というのが,我々第一線で接種に当っている者の実感である。

まとめ

1977年2月〜3月のB型インフルエンザ流行について,前橋市内の小学校,幼稚園および保育所内の罹患状況を調査し,インフルエンザワクチン集団接種の集団内流行に対する効果を検討した。


  1. 小学校では全校が集団接種を行ったが,その接種率は57%から100%までバラツキがあった。

  2. 期間内欠席者数の割合は,接種率の高低と無関係であった。

  3. 流行の開始時期および地理的条件を検討したが,低接種率の小学校が流行の先導をしたとは認められなかった。

  4. 保育所,幼稚園では,約半数の施設が集団接種を行わなかった。集団接種を行った施設での接種率は30%から80%までバラツキがあった。

  5. 接種率の高低と罹患率との間に相関はなかった。

  6. 集団接種を行わなかった幼稚園,保育所における流行の程度は70%以上の接種率の施設と同程度であった。

  7. 以上の成績から,インフルエンザワクチンの集団接種は本年のインフルエンザ流行において,流行を阻止ないし軽減したとは考え難い。

  8. 学校におけるインフルエンザ集団予防接種の意義について論じ,これを一時中止して検討すべきであることを述べた。


終りに,資料の提供を受けた前橋市衛生課の諸氏に感謝する。

なお,本稿の要旨は第73回日本小児科学会群馬地方会講話会に報告した。

文献

  1. 海老沢功; インフルエンザ予防接種の適応症, 日本医事新報, 2752, 89, 1977.
  2. スタンレー・プロトキン, 古川宣; 米国におけるワクチンの現況と将来, 小児科臨床, 29(9), 1347, 1976.
  3. 市橋治雄; 欧州におけるワクチンの現況と将来, 小児科臨床. 29(9), 1347, 1976.
  4. 松島正視; 日本小児科学会群馬地方会における発言, 1977.
  5. 海老沢功; インフルエンザワクチンの効力の評価; 日本医事新報, 2758, 93, 1977.
  6. 平山宗宏; 予防接種, 小児保健研究, 32(6), 297, 1974.
  7. 佐野一郎; インフルエンザワクチン, 診断と治療, 60(9), 1743, 1972.
  8. Waldmann, R. H. et al; Immunoglobulin clases of serum neutralizing antibody formed in response to immunization with dead influenza virus vaccine, P.S.E.B.M., 126, 888, 1967.
  9. Maun, J. J. et al; Antibody response in respiratory secretions of Volunteers given live and dead influenza virus, J. Immunol., 100, 276, 1968.
  10. Alford, R. H. et al ; Neutralizing and hemaggulutination-inhibiting activity of naseal secretions following experimental human infection with A2 influenza virus, J. Immunol., 98, 724, 1967.
  11. Waldmann, R. H. et al; Influenzavirus neutrarizing antibody in human respiratory secretions, J. Immunol., 100, 80, 1968.
  12. 川上勝朗; ウイルス感染症の予防接種, 小児科臨床, 26(12), 1852, 1976.
  13. 織田敏郎, 戸部和子; インフルエンザ予防接種の効果, 群馬県医師会報, 347, 12, 1977.
  14. Davies, R. & Pepys, J.; Eggallery, influenza vaccin and immunoglobulin E antibody, J. Allergy Clin. Immunol., 57, 373, 1976.
  15. 荒井康男; 小児気管支喘息と肺機能, 第2編小児気管支喘息に対するインフルエンザワクチン接種の影響, 日本小児科学会雑誌, 81(8), 669, 1977.
  16. Loda, F. A. & Glezen, W. P.; Practice of Pediatrics, II-44, Harper & Row, Pub., 1975.


(本稿は,群馬県医師会報,350,16,1977,に報告されたものである。)

 
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