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D. HI抗体価によって見た小学校のインフルエンザ流行

以下に,HI抗体価によるインフルエンザ流行状況の観察と分析の結果について述べる。

インフルエンザの免疫に関与する液性抗体には,大きく分けてまず血中抗体として,ウイルス中和抗体・HI抗体(血球凝集阻止抗体)・抗ノイラミニダーゼ抗体,その他補体結合(CF)反応等によって検出される数種の抗体と,そして呼吸器粘膜表面に分泌されるIgA抗体がある。中でもHI抗体は,血中抗体の中では感染防御に有効であることは広く認められており,その血清の希釈倍数によって示される「抗体価」は,インフルエンザに対する免疫の程度を示す指標として,またインフルエンザの臨床における血清学的診断法にも広く利用されている。検査手技も比較的容易であり,多数検体を比較的短い時間で処理する方法も開発されている。

そこで,われわれもHI抗体価によって流行の実態を見ようと試みたわけであるが,いかに容易な方法となったとはいえ,市内学童全員についてHI抗体価を測定することは不可能なので,II−2に述べたごとき対象と方法をもって実施した。あえてもう一度強調しておきたいことは,われわれが行ったことは,小学校の同一児童約600人を2年生の時から6年生になるまで,5年間にわたり継続して追跡したということである。いまだかってわが国にそのような報告のあるのを知らない。これらの資料については,まだ検討すべき点を多々残しているとわれわれは考えているが,ここでは現時点までの検討結果を元に,すでに述べてきた問題点の幾つかにある程度の照明を当て,さらに今後知らなければならない点について問題提起を試み,そしてこれから行われるかも知れない同趣旨の調査研究のために,対照ないしは参考資料を提供しようとするものである。

この章においても,主眼点は集団免疫の動向に絞られており,前の章までに種々検討を重ねてきた問題に,免疫ないしは血清疫学の面から,われわれの出来る限りの解答を求めようと務めてきた結果である。

1) 型別・採血時期別・学校別抗体価分布状況

採血時期別学校別被検者数は〔表13〕に示した通りである。

5小学校のうち,大利根小は1984年度より学区変更により,約40人増加した外には,採血時期毎の被検者数に大きな変動はない。

各時期別総被検者数は平均約600人である。延被検者数で見て,採血予定者の95.4%が採血を受けた。採血できなかった者のほとんどは,病気で欠席あるいは採血辞退による。

HI抗体価測定のための採血量は5mlとした。採血後のトラブルは一例も認められなかった。採血後直ちにアイスボックスにいれて県衛生公害研究所に搬送し,ルーチンの方法で血清分離し,フリーザーに凍結保存した。そして流行期を挾む11月分と5月分(1986年は3月分)を,翌年の6月(1986年は4月)に,同時に同じ測定株で測定した。残余血清は後の検討に備えて,再び凍結保存してある。

抗体価測定に用いたウイルス株は〔表14〕の通りである。各年度は学校年度であり,その年の4月から翌年の3月までを含む。表中*印はその年度内の流行について検討する際に用いた測定株を示す。同じ型のウイルスについて,二種の測定株で測定している場合,いずれか一方の株による抗体価をもって検討を行ったが,その理由については後に触れる。

〔図9〕〔図10〕〔図11〕は,型別・採血時期別・学校別に抗体価分布状況を,曲線をもって示したものである。

〔図9〕はAH1N1型の抗体価分布の推移を示したものである。1981年1月〜3月に流行があって,1983月11月の抗体価分布曲線は,5小学校とも抗体価128倍にピークを持つ曲線を描いている。その後曲線は全体として左方へ,すなわち抗体価の低い方へ次第に推移している。1983年12月〜1984年2月にまた流行があったが,この時の流行は小さなもので,敷島,勝山,大利根各小学校で感染率20%台,笂井小学校では僅かに2人(4.1%)であったが,荒牧小のみは38.4%の感染率を示した。従って,先の3校では抗体価の高い部分,すなわち右方の裾野がややながくなった程度の推移が見られ,笂井小では推移停滞の状態で,荒牧小では明らかに抗体価分布曲線の右方推移が認められた。5校全体として見て,僅かに右方推移が見られる程度であり,流行の規模に対応して集団免疫に与える影響も小さなものであった。

1984年11月以後の測定株はA/Bangkokに変わったが,抗体価推移の連続性に影響を与える程のものではなく,全体として見てゆっくりと抗体価が低下していく様子が見られるであろう。小数例ではあるが,笂井小の場合に典型的である。言うまでもなく1983年12月〜1984年2月の小流行のブースター効果は多少なりとも考慮にいれなければならぬであろう。

ひるがえってこの図から,自然感染によって得られた免疫がいかにしっかりと保たれているかも見ることができるであろう。

やがて迎える1986〜87年の冬の流行予測によれば,流行株はAH1N1型で,比較的大きく変異した株が流行すると考えられており,従って流行規模もかなり大きなものになるであろうと警告されている。この図によって見ても,変異株の流行がおこればかなりの規模のものになるであろうことは十分推察できる。

〔図10〕は,AH3N2型の抗体価分布の推移を示したものである。流行は1982年2月〜3月に敷島,大利根小に小流行があり,翌年1983年1月〜2月には5校全校に中規模の流行があった。その3年後,1985年11月〜12月にまた流行があった。それぞれの流行に一致して,抗体価分布曲線の右方推移がみとめられる。抗体価の減衰状況については,AH1N1型の場合と変わりはない。抗体価はきわめてよく保たれている。

ただし,1981年11月〜82年5月の抗体価測定は,A/BangkokとA/新潟の両者で行っている。後者は破線で示したが,見て分かる通り,<16倍の被検者数の多いのが特徴である。この場合でも流行後には,もちろん分布曲線の右方推移は認められるが,流行前分布曲線のピークが32〜64倍にあるようなパターンの場合に比較して,感染者数が少なめに出る傾向がある。この点についてはB型の場合について後で述べる。いずれがより現実の流行株に近いのかはこれだけでは分からないが,少なくとも後者のパターンは,大きく変異した流行株によって測定した場合の分布曲線を暗示する。

最後に〔図11〕は,B型の抗体価分布曲線の推移である。流行は1982年1月〜2月と1985年1月〜2月にあった。推移の一般的特徴はA型の場合と大差はない。しかし,図上実線で示した部分について言えば,1981年11月から1985年5月まではB/Singapore,1985年11月と1985年3月はB/USSRによる測定であるが,特に前者により測定した部分について見ると,1982年5月の流行後の抗体価分布において,ピークは32〜64倍にあり,その後の推移においてもA型に比べて<16倍における被検者の多いのが目に付く。1985年1月〜2月の流行後の抗体価分布がA型において観察されたのと同じようなパターンを示しているのを見れば,B型においては,抗体価が上がりにくいことが考えられる。しかしなお,それが測定株の性質によるものか,被検者のB型既往の回数が少ないことによるのか,確実には決められないが,おそらく後者の原因によるのではないかと考えられる。何故ならば,過去の流行記録から見て,B型流行の頻度の方が低いからである。

1984年11月と1985年5月の測定は,B/SingaporeとB/USSRの両者によって行われた。〔図11〕においては,前者は実線で,後者は破線で示されているが,後者による測定は著しく<16倍の者の割合が多い。そして感染率は,前者によれば57.8%,後者によれば51.3%と6.5%の差があり,前者の方が高い値を示す。しかしその関係は単純ではなく,いずれかに4倍以上の抗体価上昇を示した者の率すなわち感染者率は64.3%となり,そのうちで両者の測定株に上昇を見た者は69.7%,B/Singaporeにのみ上昇を示した者は20.2%,B/USSRのみに上昇を示した者10.1%であった。

ここではB/Singaporeによる抗体価を元に以後の検討をおこなったが,測定株の選択の問題は重要であることを示していると考える。とにかく,抗体価分布において,<16倍・16倍を示す者の割合が多いような場合には,その範囲内での抗体価変動は,4倍以上の抗体価上昇を以て感染と判定するやり方を取る限り,感染とは見なされない場合が多くなると予想しなければならない。

2) 欠席率と感染率の関係

各期流行における欠席者と感染者の関係を見たものが〔表15〕および〔図12〕である。

まず〔表15〕において,左から流行期間,流行株,そして被検者数を示した。被検者数は,流行のあったことが確かな学校についてのみ対象としたものである。1983年12月〜84年2月のAH1N1型流行において,指定校5校のうち笂井小では,感染者は僅かに2人であったので対象から除いた。

その次の欄に,「欠席した者」と「欠席しなかった者」,そしてそれぞれの内の「感染者」の数を示した。この場合欠席者数は,流行期間内に一回でも欠席したことのある者については,インフルエンザにより欠席したものと見なして算出した。なお,調査対象学年には学級閉鎖はなかった。

感染者数は,その流行を挾む11月と翌年の5月の抗体価において,4倍以上の抗体価上昇を見た者をもって算出した。

上記の数値を元に算出した欠席者率その他の種々の割合は,%をもってその右の欄に並示してある。

さて,欠席者と感染者の関係を図示すると〔図12〕のごとくなる。この図から言えることは,小学校の欠席率が5%を越えるような,誰にでもかなりの流行として感じられる中規模以上の流行でも,感染者は欠席者の60%〜70%を占めるに過ぎない。小規模ないしはだらだらとした流行の場合には,その割合はさらに小さくなる。感染しながら欠席しなかった者の割合は,不思議なことに各期流行とも全体の20%前後と大差はないが,これを〔表15〕の一番右の欄に示した「不顕性感染者率」によって見ると,前述の中規模流行では感染者の35〜45%,小規模流行では60%前後と言うことになる。これら全体の2割前後を占める不顕性感染者の存在は重視すべきであり,学校でウイルスをばらまいている可能性が高く,ウイルス伝播に重要な役割を果たしていると考えられる。流行回数が少ないために,確定的には言えないが,感染者率と不顕性感染者率の間にはある程度逆相関の関係があることが窺われる。

3) 抗体価別感染率

〔表16〕は各期流行における抗体価別感染率を示したものである。分かりやすくするために,〔図13〕のごとく抗体価と感染率の関係を曲線をもって示した。

これらの曲線について検討の結果,次のようなことが分かった。曲線のパターンは,感染率によって見た流行規模とは大きな関係はない。B型の感染率曲線において見るごとく,64倍以下の抗体価において差が現れるのは,流行前の抗体価分布のパターンに関係がある。16倍以下の者の割合が大きい時には,B型の場合の1982年流行に対する1985年流行のようなパターンとなる。抗体価16倍のところで谷ができるようなパターンの曲線は,流行株に対して測定株の抗原性がかなりずれているような場合に見られる。特に1985年11月〜12月AH3N2型の場合は,A/Philippineにより測定しているが,この時の流行株は明らかに抗体価で2倍,検査法に基づく呼びかたで1管のずれがあると考えられる。そこでこの曲線を左方へ一目盛り平行移動すれば,その他の曲線と概ね重なり合う。

そこで,1985年11月〜12月AH3N2流行のみ,抗体価目盛を一目盛りだけ左方移動させる補正を行い,六つの流行の被検者数と感染者数とを合計して抗体価別感染率を求めると〔表17〕のごとくなる。この表を元に曲線を描くと〔図14〕のようになる。この時の流行前抗体価分布にあたる曲線は図中に破線で示したごとくなる。われわれの経験から言えば,まさにこれからかなりの規模の流行を迎える前の抗体価分布に相当する。

この図から分かることは,自然感染に基づく抗体価においては,128倍以上ではほとんど感染しない。抗体価64倍ではおよそ20%,32倍では45%,16倍では55%,<16倍では70%位の感染率であり,感染者全体として大まかに見れば,16倍以下の者が65%,32〜64倍の者が35%の割合ということになる。この曲線はあくまでもモデルであって,各抗体価とも感染率に±10%前後の変動はしばしば起こると見ておいた方がよい。

ここで注意しなくてはならないのは,上記の成績はワクチン非接種児童についての成績である点である。周知のごとく,HI抗体は血中IgGの一種であり,これが感染防禦の主役ではない。そして,感染防禦の主役と考えられるIgAや細胞免疫とHI抗体との関係も明らかではない。したがって,HI抗体価をもって免疫の指標とすることには慎重でなければならないであろう。

ただ,ワクチン非接種児童におけるHI抗体の存在は,同種ウイルスによる感染既往を示すものであり,高いHI抗体価は,比較的最近の感染既往を示すと推定することが出来る。それ故,この場合のHI抗体価は感染防禦と密接な関係を持つと考えることができよう。その様な観点から見る時,HI抗体価64倍以上はかなり強力な免疫の存在を,16倍以上は,感染既往を指示しているように思われる。

一方,不活化ワクチンは血中IgGだけを選択的に上昇させるから,ワクチンによるHI抗体価の上昇は,上記の成績と同様に考えることは出来ない。ワクチン接種者におけるHI抗体価は,感染既往とワクチン効果の合成であるから,HI抗体価の評価は複雑である。

即ち,ワクチン接種後のHI抗体価は,

1)感染既往の無い者に対するprimaryなワクチン効果
2)感染既往のある者の自然抗体
3)感染既往のある者に対するワクチンのブースター効果

の何れかを示していると思われるが,それ等を区別することは困難である。したがって,ワクチン接種群におけるHI抗体と免疫との関係を論づるには,この様な背景に考慮する必要があろう。

4) 感染既往と感染率

インフルエンザ感染の既往が次の流行に与える影響を考察するため,次の調査を行なった。即ちAH1N1型,AH3N2型およびB型について,以前の流行時に感染したか否かを区別し,それぞれの群における次の流行時の感染率をHI抗体価変動により測定した。幸い,われわれは同一児童を5年間にわたって追跡したので,その間の流行について調査することが出来た。まず,1981年11月の抗体価で32倍以上の者は既往ありとし,<16倍および16倍の者は既往なしとした。感染の有無の判定は既述のごとく,流行前後の抗体価において抗体価が4倍以上の上昇を見た者を「感染あり」,2倍以下の者は「感染なし」として集計した。ウイルス型によりA/ソ連(AH1N1:以下A1と略称)型,A/香港(AH3N2:以下A3と略称)型,B型の三つの系列に分けて,それぞれ既往と感染の関係を追跡した。それを一括して〔表18〕に示した。

〔表18〕について,分かりやすいように図示したものが〔図15〕である。各四角形とも黒く塗り潰した部分が有既往者率あるいは感染者率を示す。四角形の横幅は,感染の有無によって分けられてゆく対象者の割合を示している。ここではそれぞれの型について述べ,つづいて,2,3の問題を提起してみたい。

(i) A/ソ連型について}

対象児童が一年生の時,すなわち,1981年1月〜3月にはA1型の流行があったことは明らかになっているが,それ以前の乳幼児期にも,1978年から流行規模の大小はあれ連続してA1の流行があったことが記録に残っている。おそらくそのためにA1系列の既往感染率が92%と高率を示していた。

そして,この児童たちは,1983年12月〜84年2月のA1流行に暴露された。即ち,少なくとも3年を経過しての流行である。この時,感染既往のない者の感染率は53.7%であったのに対し,感染既往のある者のそれは21.7%であった。即ち,3年後にも,免疫はよく保存されていた。

(ii) A/香港型について

A3についても,1981年11月までに,62.8%が抗体を保有する感染既往者になっていた。

1982年1月〜3月の流行はB型を主とするものであったが,この時の抗体検査から,指定5校のうち,敷島小,大利根小2校にA3の小流行があったことが判明した。そして,欠席率曲線を検討した結果,市内37校中14校において,B型流行後にA1小流行があったと推定された。そこで,〔表18〕では,敷島小,大利根小を一グループとして,他の3校と分けて示した。

1983年1月〜2月にはA3の本格的な流行があり,そして3年後の1985年11月〜12月にも流行があった。

1982年に流行があった敷島小,大利根小について見ると,1982年の小流行において,感染既往の有無によって,感染率に大きな差を見せている。そして,この時の流行は,翌年の流行時の感染率に,更に顕著な影響を与えた。即ち,前年感染しなかった者の感染率49.7%に対して,感染した者のそれは8.5%に過ぎなかった。

更に3年後の1985年11月〜12月の流行においても,感染既往の有無は大きな影響を与えている。これについて,5校全体の傾向を知るため,1982年2月〜3月の小流行を無視して一括した成績を〔表19〕として再掲した。この表から,1985年11月〜12月の感染率を見ると,3年前に感染しなかった者67%に対し,感染した者34%で,概ね2:1の関係であった。

このような経過の中で,すべての流行に感染した者は506名中1名であり,すべての流行を免れた者は2名であった。小学校卒業までに,すべての児童が,1〜3回の同型ウイルス感染を経験するものと考えられた。

(iii) B型について

B型は,1982年1月〜3月と1985年1月〜2月に流行があった。調査開始前,即ち1980年3月〜5月にB型流行があったので,1981年11月の「既往あり」は,この時の感染によるものと思われる。従って,1982年1月〜3月の流行は,前回より2年後ということになるが,その際の感染率は既往ある者33.6%,ない者59.4%であった。そして,更に3年後の1985年1月〜3月流行において,1982年に感染した者の感染率36%に対して,感染しなかった者57%であった。

この時の流行について,感染既往別に感染率,欠席率,発熱率を見たのが,〔図16〕である。それぞれの群に占める欠席率,発熱率には差が認められなかった。

尚,B型について,以前の感染と次の流行との関係を〔図17〕に示した。これは,〔図15〕の一部を分かり易いように数値を入れて書き改めたものである。

一つのモデルとして,きわめて分かりやすい関係を示している。もちろんこれをもってすべての型の,またすべての時期の流行に当てはめるわけにはいかないが,基本的な関係を暗示するものとして適当と考えるからである。

被検者数は506人で,「既往あり」と「なし」が概ね半々に分かれた。被検者すなわち対象児童が小学一年生以前にB型流行に暴露した可能性は,2歳の時のB型流行,5歳の時のA1,A3,B型の三種混合流行,そして一年生の時にA1型とA3型流行に続く3月中旬から5月中旬にかけてのB型の小流行があるが,恐らくは5歳時の流行による影響がもっとも大きいと考えられる。

その2年後の小学2年生の時の流行,さらにその3年後の5年生の時の流行における感染の有無によって分けた各群の感染率は〔図17〕の通りである。

すなわち感染既往の有無によって分けた各群の感染率は,それぞれ「なし」において59.4%,「あり」において33.6%であった。さらにその次の流行において,二つの群の感染の有無によって分けた各群の感染率は,前回感染しなかった者についてはそれぞれ56.7%と57.2%とほとんど差はなく,前回流行において感染しなかったことの重要性を示した。また前回流行において感染したが既往なしの者では41.1%,前回感染し既往もありの者では26.2%と,感染を繰り返すに従って感染率は低くなる傾向が認められた。

既往・感染共にありの者の感染率は,前回感染なしの者の半分以下の感染率であった。しかし2年生の時と5年生の時の前回感染の有無による感染率の比は,集団全体として見ればいずれも概ね5:3の割合であった。ちなみに二つの時期の流行における全体としての感染率は46.6%に対して47.2%と両者に大差はなかった。防御率は43.4%に対して36.8%とわずかに6.6%の差にすぎなかった。

これらの関係はすでに述べて来たことであるが,比較的ウイルスの変異性が少ないとされるB型であればこそ,このようなはっきりとした関係が見られることになったのであろう。しかしA型の場合でも基本的にはこのような関係があるが,流行ウイルスの抗原変異により修飾を受けやや複雑な変動を見せるのであろうと考えられる。

いずれにせよ子どもたちが,インフルエンザに対する免疫を獲得してゆく様子をこの図から見ることが出来よう。

(iv) 既往による感染防御率

以上のことから,一般的にどの型系列においても,以前の感染既往が感染率を引き下げる作用を及ぼしていることが分かる。すなわち免疫効果のあることを示す。たとえばワクチンを接種していなくても,そしてウイルスが変異を続けている条件下に於いても,免疫効果は明らかに保持されているということである。

比較に耐える対象数を持ち,感染率に一定の傾向が認められるのは,前回流行時の感染の有無とその後の流行における感染率との関係であるので,これについて検討した。

前回流行時の感染の有無を中心に六つの流行について比較して見たのが〔表20〕である。いずれの流行においても,前回流行に感染した者の感染率は,しなかった者に比べて明らかに低かった。さらに前前回の流行に感染したかどうかによってさらに分類して見ると,これもまた明らかに感染を繰り返すほど感染率は低くなる傾向が認められた。

そして〔表20〕の一番右の欄に示したごとく,前回流行との間隔(年)と,ワクチン有効率の計算式に準じて求めた防御率との関係は,ざっと1年後ならば80%,2年後ならば70%,そして3年後では値はばらつくがおよそ40〜60%になることが分かった。

(v) 経過年数と感染率

〔図18〕は〔表181920〕を元に,前回流行の既往あるいは感染のあった群となかった群とに分けて,型別および前回流行との間隔(年数)別に示したものである。ここでいう既往とは,班の調査活動が始められる以前の流行においてかかったか,かからなかったかを言うものであり,1981年11月HI抗体価が32倍以上の者は「既往あり」,<16・16倍の者は「既往なし」としたことは先述の通りである。流行間隔の起点としては,A1型では1981年冬の流行を,A3型およびB型の流行は1980年3月〜5月の混合流行を起点としている。これは県衛生公害研究所の記録による。

図の棒グラフの上の数字は被検者数,両脇の%数字は感染率を示す。5校のうち2校の場合と3校の場合については互いに学校が入れ代わっていることはない。

以上の条件で,既往・感染の有無と感染率の関係を見ると,3年前の流行において既往・感染のなかった児童は,あった児童のほぼ2倍の感染率を示し,当然のことながら間隔が二年,一年と短くなるにつれて,既往・感染のあった児童の感染率は著名に低下し,既往ないしは前回の感染の無かった児童の感染率もわずかながら低下した。従って,その差が大きくなる傾向が認められた。

一年後の例は,市内の局地的な小流行であったが,「既往あり」すなわち抗体保有者の感染率は僅かに8.5%,それに対して「既往なし」すなわち抗体保有のない者の感染率は49.7%と,実に5.8倍の感染率であった。

以上の成績を見て総括して次のように言えるであろう。抗体保有者の同型1年後の流行時の感染率は大体10%位,2年後の流行では25%位,3年後で30%前後,また前回感染を免れた者の感染率は,1年後で約50%,2年後で60%,3年後で65%前後と見られる。

5) 集団として見た抗体価分布の変動

今までの検討に用いてきたHI抗体価の一般的性質のうち,抗体価が流行と関連しながら時間とともにどのような消長を示すのか,二三検討したことについて述べたい。

言うまでもなく,個体的に見た抗体価の変動や流行時の免疫応答のパターンには,かなり大きな個体差が見られるのが常であるが,これらに関する問題はとりあえず捨象して,この項においても眼目は集団免疫において検討結果について述べることとする。

〔表21〕は,指定校5校における1982年1月〜2月B型流行時の感染者と非感染者を二つの群に分けて,それぞれ流行前から2年間4回の抗体価測定成績を元に,抗体価分布の変動状況を追跡したものである。抗体価は4回とも欠けることなく測定した者のみを選んだ。感染者群と非感染者群の被検者数が両方とも257人と一致したのは偶然である。

これを曲線によって描いたものが〔図19〕である。

左側の図は,感染者群の流行前・流行後・その後の抗体価分布の変動を示したものであり,右側は非感染者群の同じ時期のものである。

非感染者群の流行後の抗体価分布のパターンを見ると,ある程度流行の影響を受けていることが分かる。それは,感染の判定を抗体価4倍以上の上昇によって行ったからであって,実際には,非感染者群の中に,抗体価が4倍以上上昇しなくても感染した者が少しは含まれていることを示す。しかし今はそれは無視することとする。

さてこの図において,左上の図から順次下に目を進め,右側に移って右下の図に至ると,初めの抗体価分布曲線に戻ったと感じられるであろう。実は別の群であることはあらかじめ分かっているわけだが,抗体価分布変動の様子から経験的に推量すれば,左側上から二番目の流行後の抗体価分布のパターン,すなわち抗体価256倍にピークを持つ山型の曲線から,元の流行前の右に傾斜したパターンの曲線に戻るのに,約3年間かかると見られる。言い換えれば,3年もすれば再び同じ位の流行を迎えてもよいような抗体価分布に回帰するということである。もちろん抗体価分布がそれだけで,流行の発生と規模を規定するとは言えないことは確かであるが。この推定を裏付ける事実として,たとえば,A1型の抗体価の平均的低下状況を見ると,当然のことながら抗体価が高いほど低下の割合は大きく,HI抗体価の常用範囲において,その関係は指数関数的であって,半対数グラフに描けば直線的関係が得られる。

そこでB型についても,〔表21〕より平均抗体価を求めて,横軸に暦日を取って半対数グラフに減衰曲線を描くことにより,半減期約10か月,流行前の元の状態に戻るのに約2年7〜8か月の結果を得た。これは経験的予測とかなりよく一致する。

その他の型についても,同じ測定株による抗体価により,いずれ後で検討して見る予定でいるが,とりあえずA3型について,各期流行における感染者・非感染者別流行前抗体価分布について検討して見た。

その結果は〔図20〕に示す通りである。細かいことは省略するが,平均抗体価によって見て,両群の間には2の0.6〜1.8乗の範囲の差があるが,指定校5校における1982年1月〜2月B型流行と1985年11月〜12月A3型を比較すると,抗体価分布のパターンには大きな違いがあるが,両群の平均抗体価の差は2の1.2および1.0乗と大差はなかった。要するに,力価一定の抗体を仮定すれば,相対濃度において,非感染群は感染群に対してざっと2倍の抗体を保有していると考えられた。生じている事情は,型によらず同様とかんがえられそうであるが,この問題については,さらに今後検討を要すると考えている。機会を得て,また発表したい。

再三述べていることであるが,HI抗体価だけから引き出した数値をもって,きわめて多くの因子が関係し,きわめて大きな多様性を持つインフルエンザ流行についてあまりに一般化した議論を続けることは危険なことであろう。とは言え,インフルエンザ流行における集団免疫状態に対するHI抗体価による分析には,それなりにある程度の整合性のあることは,十分窺われる。

6) 感染者の流行前抗体価別欠席率・38℃以上の発熱率

〔表22〕は,冬期流行の感染者の流行前抗体価別欠席率および38℃以上発熱率を示したものである。

この表から,個々の流行において,抗体価と欠席率あるいは発熱率の関係は,必ずしも抗体価が高くなるほど低くなるとばかり言えない場合もあるが,全体として見るとき,欠席率も発熱率も抗体価が上昇するとともに低くなる傾向が認められた。

以前の報告において,1983年1月〜2月のA3型の流行および12月から翌年にかけてのA1型の流行に関する資料を元に,感染者の流行前の抗体価と欠席率・発熱率の間には何等相関は見られないと述べたが,全流行について検討の結果,以下のごとく訂正しなければならない。

すなわち,まず感染率は既述の通り流行前抗体価の上昇とともに低下し,感染した者の欠席率や38℃以上の発熱率も同様に低下する傾向が認められる。もしも抗体価<16倍および16倍の者を抗体を保有しない者,32倍以上の者を抗体保有者とすれば,欠席率は前者にあっては67.0%,後者では55.5%,発熱率は前者は49.1%にたいして後者は38.0%であった。すなわち,既往があって感染した者の欠席率および発熱率は,既往のない者に比較していずれも約10%低いという結果であった。

しかし,小学生の場合,38℃以上の発熱があればほとんどが欠席者であるはずだから,感染して欠席した者の38℃以上の発熱率は,流行前の抗体価とは明らかな相関はないことになり,恐らく流行前の抗体価のいかんにかかわらず一旦感染発病すれば病状の程度分布には差はないと推量される。要するに病状程度は,抗体価だけでは決められない,と言うことである。

 
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