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4.総括と考按
1) 流行指標としての小学校欠席率の有用性
インフルエンザ流行の指標には種々なものがある。学級閉鎖数,インフルエンザ様疾患発生数,届出死亡率,超過死亡率,医師による届出患者数,ウイルス検体提供数,流行ウイルス株検出数などである。
始めに挙げた二つが,厚生省による公式情報であり,マスコミなどを通じて広く浸透している。
しかし一般的に言って,どの指標も相対的なものであることは免れない。それは,インフルエンザがこれと言って際立った特徴のない臨床症状しか示さぬ疾患であって見れば,止むをえぬことであろう。
従来しばしば比較的狭い地域間の流行比較に,学級閉鎖数が用いられているが,あまり意味のあることとは思われない。なぜなら,たとえば学級閉鎖が行われる条件には,地域によりまた流行の時期により,さらには各学校間においてさえも,大きな差があるからである。
かつまた学級閉鎖の実施基準については,各地で一応の取り決めがあり,多くは欠席者の数が在籍数の20%を越えたら,5日以上の期間閉鎖するというのが一般的であり,教科書にもそのように記載してあるものが多い。しかし実際には,学級閉鎖が実施されるのは,流行もピーク間近になって一斉に始まるのが普通であり,流行開始の時点からは,言わばかなりのタイムラグのある場合が多いのが実状である。(〔資料3〕参照。定例班会議で報告された荒牧小の学級閉鎖状況調査である。ここに述べたことと関連する一事例として引用した。インフルエンザ流行における学級閉鎖の有効性については議論のあるところだが,この問題については班会議でも今後の課題になっている。)以上のことを考慮した上でわれわれは,前橋市程度の比較的狭い地域の流行状況を把握するためには,どのような方法が良いかを考えた末,小学校の毎日欠席率を選んだ。各学校で毎日の欠席者数調査は日常的に行われている場合が多く,これを報告してもらって集計すれば,現場にあまり大きな負担を掛けずに目的を達すると考えたからである。
もとより小学校児童は,市内人口構成から見ればきわめて限局した集団である。しかし一方で,市内の小学校の配置は地理的に見て,市内各地域の特性をよく反映する位置にあり,かつまた小学校の欠席状況は,幼稚園・中学校・高校に比較して,傾向的偏りがなく信頼性の高い数値が得られる利点があると考えた。
横軸に暦日を取り,毎日の欠席率を縦軸に取って線でつなぐことにより,一種の流行曲線が得られた。インフルエンザ流行の際にはきれいな山型の流行曲線を描くことが多かった。欠席率2%を基準にして,流行期間や流行パターンの観察が容易になり,最高欠席率と流行期間からある程度流行規模の推定も可能であった。
欠席率2%を基準に選んだことについては,3%あるいは3.5%の方がよいという意見も有りうるが,学校保健上インフルエンザ以外の流行性疾患も考慮の対象に入れるとするならば,2%の有用性を支持したい。欠席率ないしは欠席率曲線を指標として流行を見る方法自体は,昔から広く行われている。しかしその多くは単年度もしくは短期間である場合が多く,また対象地域も狭く,一つの学校というような場合が多かった。最近の報告でよく見るのは,HI抗体価の変動と組み合わせてワクチン効果を見るために行われたものが多い。すでにその有用性は認められていると見てよいであろう。
しかし前橋市ほどの広い地域を対象として,5年以上の長期にわたり欠席率を追跡した報告は今のところ見当たらない。ましてやインフルエンザワクチン非接種地域のものであるところに特異性があると思われる。
流行指標としての欠席率の特性や,これを利用する時の留意点については,園口忠男氏の著書に詳しい記述がある1)。しかし氏の著書に引用されている調査成績の多くは,ワクチン接種地域のものである。にもかかわらず,われわれの得た知見の多くと一致するところの多いことにむしろ驚かされている。
われわれがインフルエンザの欠席率による流行曲線を描きながら,市内流行との関係について気付いたことは次のようなことである。
われわれの観察期間内において,インフルエンザの流行開始期には多くの場合,まず二三校に先駆けた流行が認められるが,その後多少の速い遅いはあれ,一斉に各学校に流行が始まるのが常であった。そして最初の流行校とその後の流行校の間には,地域的に見て伝染経路を追跡することは不可能であった。また学校流行が始まる前には,すでに市内各地域にインフルエンザと思われる患者の発生が認められているのが通常であり,もちろん流行の初期においては,家族間ないしは学校・学級間において伝染経路を追うことのできる例もないわけではなかったが,このような事象は瞬く間に市内各地で平行して見られるようになり,その時はすでに流行は市内一円に広がっている。そして学校流行が終わるころには,市内の流行も概ね終わりを告げていた。
これは大流行同期(interpandemic periods)と呼ばれる時期の流行特徴を示すものとしてよく知られた現象である2)。
この点については,群馬県医師会が実施している「インフルエンザ様疾患サーベイランス報告」と比較対照し,小学校の流行曲線が市内流行をよく反映している事を確かめた。ただ,県の報告は月報であるため,市内流行と学校流行との前後関係について,くわしく検討し得なかった。医師会員全員が参加して行われるこの種のサーベイランス事業にあっては,週報とするには幾多の困難があるものと思われる。
全国の流行状況との比較は,厚生省のインフルエンザ流行情報との比較によって見たが,流行曲線の重なり具合から,流行規模といい流行のパターンといい,驚くほどよく一致した。マクロの視点から見て,ワクチン非接種地域である前橋市に異常な流行状況が現れたとはとうてい考えられない状況であった。要するに学童集団接種実施の有無は,小学校の流行状況にさしたる影響を及ぼさないということである。
2) 集団接種中止の市内流行に与える影響
すでに述べたごとく,現行のインフルエンザ予防接種対策に対するポリシーは,一言でいえば学童集団接種「防波堤」論である。そこで問題は,このポリシーは果して実効を示しているのかということであった。もし実効を示しているならば,われわれは直ちに接種再開に踏み切るべきであろうと考えたからである。
われわれが手に入れることのできる資料や手段は限られたものであったが,地域別インフルエンザ様疾患発生状況,地域別国保受診状況,地域別超過死亡率などの比較を通じて,集団接種を中止した前橋市が,接種地域よりも多くのインフルエンザ患者を発生せしめ,そのために医療費を費やさせ,高齢者およびハイリスク者の死亡率を上昇させたという事実はないということが分かった。
しかし,この作業を通じて,われわれはインフルエンザ流行監視体制不備の現実を実感しなければならなかった。また現行のインフルエンザHAワクチンが実用化されてからでさえすでに14年が経過している。高接種率を頼みの綱に,毎年多大の労力と費用を掛けて行われてきた。その間多くの研究が積み重ねられていたことを知らないではないが,その多くはワクチンは有効との結論を出す場合にも,その非力を付言するものも少なくなかったことも事実である。それなればこそ,接種時期を遅くして12月〜1月にする提案や接種回数を増して3回にする提案がなされていた3)4)。
疫学的調査に伴う困難について,われわれはすでに実感をもって推察できるが,本来これを行うべき厚生省が,やっとつい最近になって組織的な再評価の試みに乗り出したことについては,「これだけの時間があったのに」と,今更のように不思議なことだと思わざるを得ない。とはいえやり始めたからには,十分納得の行く結論をだしてもらいたいと思う。
3−A,3−B の成績の検討を通じて,ワクチン非接種地域である前橋市の流行状況は,接種地域の流行状況となんら本質的に差異はなく,従ってわれわれは,学童を防波堤にして地域内流行を抑止しようとする考え方はすでに破綻していると考える。
3) 欠席率によって見たワクチン効果
インフルエンザ流行には,他のウイルスによる感冒も多発するから,欠席者をもって,インフルエンザとすることは出来ない。(この点について,本県において箕輪5)らの鋭い指摘がある。)従って,発熱を条件にする方法,HI抗体価変動を見る方法等が提案されており,われわれもそれに同感である。しかし,われわれが見たごとく,流行も時に約20%の不顕性感染がある事実を考慮する時,この方法もまた,一部を捕えて一部を見逃す欠点を免れない。
またNI抗体またはNP抗体を重視する意見もある6)7)8)。
われわれも流行指標として欠席率を利用して,前橋市における流行状況を観察してきたことは既述の通りであり,その有用性について強調した。そこで,われわれも多くの調査研究者と同様の手法を用い,集団接種中止により前橋市内小学校の流行状況がどのような影響を受けたかを見るのを主たる目的に,欠席状況をもって接種地域と比較してみた。しかしこれは同時に,非接種地域である前橋市を対照として,接種地域の欠席状況を見ることになり,おのずからワクチン効果の常套的評価を行っている結果にもなった。
まず第一に,比較すべき地域の選択にあたって,地理的条件やその年の流行規模などを勘案して,県内主要市の中から高崎市,桐生市,伊勢崎市を選び,人口規模の小さな市ではあるが前橋市と同じ非接種市である安中市も参考に加えた。比較する1984,1985両年度において,安中市をのぞく4市において市内流行の規模において大差はなかったことは既に述べた。
第二に,接種地域の対照群としてしばしば用いられる「非接種群」の統計的不適格性について言及した。それに代えて,全体が非接種群である前橋市の欠席率を対照として,接種地域の「2回接種群」におけるワクチン有効率を算定する方法を取った。その結果,1984年度のB型流行において5%,1985年度のA3型において27%という低い有効率であった。ただしこの場合の欠席者はすべてインフルエンザによるものと仮定しての値である。また,感染したが欠席しなかった者すなわち「不顕性感染者」の存在は重要だと考えられるが,この段階では考慮されていない。
しかしここで,同一地域内の接種:非接種群の比が1:1であるような場合にはどうか,という反論があるであろう。この場合には両群の質的差異はかなり小さなものとなるからである。
この点については最近,ちょうどこの条件に当てはまるものとして,1984年度のB型流行時の奈良市の小中学校幼稚園を対象に調査した報告がある9)。対象者数は43,707人,接種率48.9%で,欠席率および38℃以上発熱者率によって比較している。この報告を元に,欠席者をすべてインフルエンザによるものと仮定してワクチン有効率を計算すると,欠席者について13.5%,発熱者について18.5%となる。これについて報告は次のように述べている。「有効との成績を得たが,満足といえる状況にはほど遠いことは数字の示すとおりである」と。まったく同感である。
さらにこの点に関連して,本文には引用しなかったが,われわれの資料に基づき,県内全11市のワクチン接種率と,総欠席者率およびワクチン接種回数別欠席者率について検討して見た。その結果,接種率と欠席者率の間には有意の相関は認められなかった。さらに小学校別に,2回接種率と欠席者率の相関も見たが〔図21〕に示すごとく,まったく相関は認められなかった。
ただし1984年度B型流行時の集団接種実施9市について,「ワクチン接種率」と,「非接種群と2回接種群の欠席率の差」の間には相関が認められた(相関係数0.80)。そして,接種率40〜90%の範囲内で回帰方程式[y=2.73+0.17x]を得た。そこでこの式から接種率50%における差の推定値と標準誤差を求めると[11.23±2.76%]となり,奈良市の場合も明らかにこの範囲内に入っていた。接種率85%の推定値は[17.18±2.76%]となり,当然高崎市も含まれる。これが意味するところは,B型の場合,接種率とワクチン有効率にはある程度の相関が認められるということであり,接種率から「相対的な」有効率を推定することができる。しかしこの式を元に,接種地域の非接種群の平均欠席率を基準にして,接種率を50%から85%に上げたとしても,ワクチン有効率はざっと20%から30%に上昇するに過ぎないことになる。
しかしこれはすでに指摘したことであるが,われわれの場合のように条件付き欠席者率を用いようと,あるいは単純に欠席者率を用いようと,いずれにせよ欠席者のすべてがインフルエンザ患者ではないこと,そしてまた欠席しなかった者の中にもインフルエンザ感染者がいることが評価の内に入っていないことによって,相対的な指標である事を免れない。
したがってこれらの欠席率から求めるワクチン有効率もまた相対的なものと言わぎるを得ない。しかし,妥当な推定根拠に立って,本来のワクチン有効率に出来るだけ近似した値を得ようと操作を加えたにしても,有効率は以外に高かったという可能性はほとんど予想できない。
またもしもワクチンが,流行集団において有効率が低かろうとも,個人の症状軽減に役立つという理論を容認するとすれば,欠席しなかった者に占める感染者の割合は,非接種地域のばあいよりもかえって高くなり,それらの児童は学校に出てきてウイルスをばらまき,それがことによったら,接種地域の非接種群の欠席率を上昇させる因子となっているかも知れないことになる。この点に関して,園口は,「ウイルスを排出しながら欠席しないで登校しつづける学童」が学校流行に貢献することを証明している10)。
次に指摘しておかなければならない問題点は,1984年度B型流行と1985年度A3型流行における見掛け上のワクチン有効率が,なぜ後者において高かったということである。一つの説明は,従来からの一般的評価の通り,B型ワクチンは効きにくいことの反映であるとするものである。もう一つは,1985年度A3型流行は例年になく流行開始時期が早く,たとえば伊勢崎市では約半数の学校で第二回目接種日が流行期間内になり,高崎市でも一部の学校は流行開始期にかかっていたために,すでに欠席している者や症状を現し始めている者の数が増えて,結局「非接種群」や「一回接種群」の欠席率を上昇せしめたのではないかと考えられていることである。
もう一つの問題点は「一回接種群」に関するものである。この種の調査にあっては多くの場合,欠席率は非接種群,一回接種群,二回接種群の順で低くなる(すべての場合にそうだとは言えないが)。そしてこれが,あたかも接種回数を増すごとに欠席率が低下するような印象を与える。しかしこの群についても,なぜ一回で接種を中止したかを考えて見れば,特珠な条件を持った群と見なければならない。しかし一回接種でも効くと主張し,その根拠についてブースター効果をもって説明しようとする人がいる。しかしそれには自然感染既往を前提としなければ血中抗体価の確実な上昇を期待することはできないだろうと思われる。しかしその感染予防効果がどの程度のものであるのか確実な証明を知らない。もしその効果を認めた上で,なおかつそれが大きな比重を占めているとしたら,ワクチン効果とは当然のこととして自然感染既往を前提としていることになり,ワクチンが有効であるためには,いつかどこかで自然にインフルエンザにかかっていなければならぬことになる。
そしてある年,幸せにしてワクチンによって感染を免れたとして,その次の流行時にはどうなるのか。日本人の多くは,15歳を過ぎればワクチン接種を受ける機会はほとんど無くなる。その時でもやはり,学童期にワクチンを繰り返し接種していた方がずっとよいのか。単に個人防衛の見地からだけではなく,集団防衛の見地からどうなのか,われわれは確かな答えを知らない。
4) インフルエンザ流行とHI抗体
われわれは前項までの検討を通じて,学童に対する集団接種を中止しても前橋市に特別大きな流行が発生したという事実はないことを確かめた。さらに学校欠席率の検討を通じて,学校集団自体の流行にも格別言うべきほどの差異は見いだせないことを述べた。また接種地域と非接種地域の欠席者率の比較から,ワクチン有効率は言うほどには高くはなく,ある程度の有効率を認めたとしても,集団免疫の見地からどれほどの意義があるのか疑問を提示した。
この疑問を明らかにするためには,どうしても血清学的手段の助けを借りなければならない。われわれとしても,接種を中止している以上,その妥当性を裏付けるために,出来るだけの努力をする責務があると考えたからである。そこで「方法」のところで述べたごとく,約600人の小学生諸君の協力を得て,5年間にわたり継続してHI抗体価を追跡すると言う,未だわが国に例を見ない調査に取り組むことになったのである。ここで明らかになったことは,自然のインフルエンザに感染して得た免疫はきわめてよく保持されていることであった。HI抗体価で見た集団免疫の程度は,年々少しづつ低下したが,流行ウイルス株の連続変異の条件下でも,ワクチン有効率の計算式に準じて求めた前回同型ウイルス流行に対する防御率は,ざっと1年後で80%,2年後で70%,3年後では50%前後の高率であった。かくのごとく小児は,インフルエンザに対する確固とした免疫を身に付けている。
さらに付言すれば,感染を繰り返すほどに免疫の程度は強固なものとなり,既往回数が多いほど感染率は低くなり,感染しても発病する率も低くなることが伺われた。
次に分かったことは,流行時の欠席者のうち,インフルエンザ感染者は概ね60〜70%であり,逆にインフルエンザに感染していても欠席しない者すなわち「不顕性感染者」が全体の20%前後を占めることであった。言い換えれば,クラスの5人に1人が不顕性感染者であるという事実は驚くべきことであり,ウイルス伝播に重要な役割を果していると見なければならない。
われわれはワクチン効果の野外実験を行っているわけではない。いたずらに推論を重ねることの無意味さを考えないわけではないが,もしもワクチン集団接種が行われていないとすれば,このような事態が各地で年々流行と共に生起している筈である。このような集団にワクチン接種を行った場合,どのようなことが生じるのか,われわれが知りたいのはそこである。
一方で「効果があればいいではないか」という意見もあるかも知れない。しかし前項において見たように,欠席者率から見たワクチン有効率はたかだか20〜30%であり,これでは前橋市の被検児童600人の年度別感染率の偏差の中にすっぼりと入ってしまう程のものである。ワクチン効果の「見えにくい」のもまったく無理のないことである。
それでも学童に対してインフルエンザワクチン集団接種を行う価値があるとすれば,それは何か。それに納得のいく答えが得られなければ,前橋市はワクチン接種を再開するわけにはいかないであろう。
5) 要約と結論
- 前橋市がインフルエンザワクチンの学童に対する集団接種を中止するに至った経緯を述べ,その背景に,市医師会が行政と緊密な連係を取りながら,予防接種対策に取り組んで来た歴史的な業績のあることに触れ,「インフルエンザ研究班」が組織された必然性について述べた。
- 市内小学校の欠席率によるインフルエンザ流行曲線を示し,その特性について検討し,従来一般的な流行指標として用いられている学級閉鎖数に比べて秀れた流行指標であることを示した。これは,学校において日常的に行われている「欠席調べ」を集計すれば容易に実現可能である点を含めて,インフルエンザ流行観察の手段としての有用性を強調した。
- 欠席率2%を基準として流行期間を決定し,欠席率曲線のパターンをもって流行の特徴を見たが,臨床的経験的にとらえた流行状況の特徴とよく一致した。
- われわれは1981年1月から1985年12月に至る5年間に,七つの流行を経験したが,各流行時の推定欠席者数を,県医師会の「インフルエンザ(インフルエンザ様疾患を含む)患者通報状況報告」や厚生省防疫情報と比較した。その結果,前橋市市内小学校のインフルエンザ流行は,集団接種を中止しているからといって,流行規模およびパターンにおいて,特別異常な事態が発生しているわけではないことを確認し,大局的に見て,前橋市の流行は県内ないしは国内の流行と平行して経過しているに過ぎないことが分かった。
- 前橋市が,学童への集団接種を止めたことによって市内流行はどのような影響をうけたかを見るために,まず始めに,県医師会の行う「インフルエンザ患者通報状況報告(先述)」により,ワクチン非接種地域(前橋市と安中市・碓氷郡)と接種地域(高崎市外6郡市)とに分けて,各地区医師会が属する地域の人口10万対の患者数によって比較してみたところ,5年間の各流行期において,特に非接種地域の患者発生数が多いという傾向は認められなかった。
同様の方法で,非接種地域と接種地域の国保診療費について検討した。方法は,インフルエンザ流行前期の9〜11月分に対する流行期を含む12〜2月分の診療件数・診療総点数・一件当たり点数の比をもってした。その結果,流行前期と流行期の間に診療費の有意の変動は認められず,かつ非接種地械と接種地域の間にも差は認められなかった。 さらに,前橋市と群馬県および高崎市における10年間の平均死亡率曲線を求め,前橋市の接種中止前後の実際死亡率の変動を比較して見たが,特に前橋市においてワクチン中止後の死亡率が,インフルエンザ流行期に一致して高くなったという事実は認められなかった。この事実から超過死亡率が上昇したとは考えられない。 以上のことから,前橋市が集団接種を中止しても,他地域よりも多くのインフルエンザ患者が発生し,そのために多くの医療費を費やし,高齢者やハイリスク者の死亡率が上昇したということはないと結論した。
- 1984年度B型流行期および1985年度AH3N2型流行期に,県下の全高校・小中学校を対象として行われた欠席者調査報告の中から,市域小学校のうち,ワクチン非接種地域としては前橋市,接種地域としては高崎市・桐生市・伊勢崎市を選んで欠席状況を比較して見た。3市合計の欠席者率は前橋市と大差はないことを確認の上,前橋市の欠席率を対照として,3市合計の2回接種群におけるワクチン有効率を求めた。結果は,B型流行においで5%,AH3N2型において27%であった。さらにここで,前橋市と隣合わせで,人口も流行規模にも大きな差のなかった高崎市について見ると,まずB型流行において,総欠席率は前橋市42.8%に対して高崎市40.1%(−2.7%),高崎市の2回接種群(接種率85.6%)の欠席率は38.3%,従ってワクチン有効率は10.5%であった。またAH3N2型流行においては,総欠席率はそれぞれ27.7%に対して21.0%(−6.7%),2回接種群(接種率80.5%)では18.6%,従ってワクチン有効率は32.9%であった。
欠席者率から求めたワクチン有効率は,接種率80%以上の群において,良くて30%前後という結果であったが,流行規模の地域差を含めて見れば,県内市域各小学校の接種率と欠席率の間にはまったく相関は認められなかった。
- 前橋市市内5小学校の同一児童約600人(ワクチン接種既往なし)を,1986年2年生の時から6年生になるまで,5年間にわたり継続してHI抗体価を測定した。検査時期は毎年流行を挾む11月と5月とした。
われわれが調査期間中に経験した流行は6回((1)1982年1月〜2月B;(2)1982年2月〜3月AH3N2;(3)1983年1月〜2月AH3N2;(4)1983年12月〜84年2月AH1N1;(5)1985年1月〜2月B;(6)1985年11月〜12月AH3N2)であった。 これらの流行のうち,(1)(3)(5)(6)の流行は中規模以上のものであり,HI抗体価による感染者率は40〜50%であった。そして各流行期の欠席者率もまた40〜50%で,欠席者の感染率は60〜70%であった。 感染しても欠席しなかった者すなわち不顕性感染者は,全流行を通じて約20%,在籍者の5人に1人は不顕性感染者であった。これらの児童のウイルス伝播における役割に注目すべきことを述べた。
- 流行全体として見て,HI抗体価128倍以上あればほとんど感染しないことが分かった。抗体価が次第に低下するにつれて感染率は上昇し,<16倍者では感染率60〜80%であった。
- HI抗体価分布の経時的変動から,インフルエンザに感染して得た免疫はきわめてよく保持されていることが分かった。B型における検討で,感染群の抗体価分布が感染前の状態に戻るのにおよそ3年と推定された。
- 各期流行について,感染既往の影響について調査した。感染を繰り返すほど感染率は低くなり,感染して発病する率も低くなることが分かった。一般的に言って,前回流行の非感染者対感染者の感染率の比は,2:1であった。
HI抗体価によって見た集団として免疫の程度は,年々少しずつ低下したが,ワクチン有効率の計算式に準じて求めた同型ウイルスに対する防御率は,およそ1年後80%,2年後70%,3年後50%前後の高率であった。すなわち,小児はインフルエンザに自然に感染することによって,確固とした免疫を身に付けてゆくことが分かった。
- 以上の検討を元に,今のところ前橋市において,学童に対するインフルエンザワクチンの集団接種を再開すべき積極的な理由は見いだせなかった。
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