皆様、こんにちは。突然ですが、「不治の病」ってあると思われます?それとも、「すべての病は治る」と思われます?私なんかは単純なので、「不治の病」はいっぱいあると思います、って答えてしまうんですけど。たびたび問題になっていることですが、私は医療とは「必ず治す」ためのものであるという側面よりも、むしろ「寄り添って共に生きる」ための道具・知恵なのではないかと思います。ただ、こちらは、「子育て」のためのページなので本当は一番多い生活習慣病や高齢者医療のことはあまり問題にならないんですが、医療のほとんどは中高年がお世話になっていることが多いですよね。病院も、普通の総合病院なら子供の患者より大人の方が多いですよね。(小児科医はけっこうマイナー科で肩身が狭いもんで)どうでしょう?色々書いてしまったけど、そもそもの問いは「不治の病」ってあるの?っていうことだけだったのですが。
やもさん、こんにちは。これは 漠然とした なんの根拠もない私の考えですが、不治の病であるか そうでないかは 自分の意識が決めるもののような気がします。 「いや、私は望んでないのに病気になった」もちろんそうです。誰も病気になりたくてなる人はいません。 でも、細胞の何かが そうであることを望んでいる、そうであることで 身体が折り合いをつけようとしている、そんな気がします。 人は必ず死にます。 全ての病が治るなら 死なないはずですよね。 でも死ぬんだ。 しかし、まだまだ若くて 細胞が生き生きしている場合は医師から不治と言われても まだまだ治す方法がある気がします。私の親戚は沢山、ガンで死んでいます。だいたい手術して切ってしまうと すぐ弱って死んでしまいます。しかし友人の叔母が末期のガンです と言われて 切らずに 治療をすべて拒否し 北海道の大地のエネルギーを身体に集めるツアーのようなものに参加し ガンが治ってしまった人がいます。みんながみんな そんなふうに治るものではないだろうとは思います。でも不治といわれても不治ではないことも 沢山あるだろうと思います。 西洋医学では不治でも 東洋医学では不治でない ということもあると思います。 私は病気を治そうと思うとき、なぜ病気になったかという部分が非常に重要な気がします。そこがわからなければ 本当の治療ができないように感じます。(食べ物、ストレス、心のありかた、環境、などなど)私個人的には 人の身体には 科学では割り切れない 神秘が宿っていると思います。奇跡と言われるようなことは 普通に日常に満ちていて そこに気づくか気づかないかだと思います。そして その神秘こそが身体の素晴らしさであり 美しさではないかと感じています。
やもさん、はじめまして。こちらへの書き込みは初めての者です。やもさんの書き込みを見ていつも色々と勉強させていただいてます。さて、ご質問の「不治の病ってあるか」という事ですが、私は「ある」と考えています。ただ「不治の病=死」という事では無いと思います。私の両親はC型肝炎です。多分両親の病気は完治する事がないので(C型肝炎が完治しないという意味ではなく、両親の現状から見てという事です)そういう意味では「不治の病」という事になりますが、両親共とても元気に日常生活を送っていますし、旅行や趣味にも積極的に取り組んでいます。隔日に通院、注射をして毎日服薬しています。現在は治癒を目指しているのではなく、悪化する事を防いでいる治療だと思います。ですので確かに「不治の病」なのですがそれが=死というのではなく「病気と上手く付き合って、病気と共存して日常生活を送っている」という事だと思います。ですので、やもさんがおっしゃる「医療とは寄り添って共に生きるための道具、智恵なのではないかと思います」というところには共感を覚えます。
私の考えは、あると言えばある。ないと言えばない。でしょうかそもそも不治の病とは誰が決めるのでしょうか私は医療従事者ではなく、患者本人が決めるのではないかと思っていますがんや白血病など不治の病と言われる疾患から回復している人がいますし…母が、がんになって思った事は、医療従事者特に医師の言葉は重いと言う事です悲観的な医師にかかっていたときは母は検査も治療も不安そうでしたあまりに悲観的な事ばかり言う医師だったのでセカンドオピニオンでお世話になったラテン系の明るい医師のいる病院に転院したら母も明るく治療にも積極的になり外出や院内の散歩を楽しんでいました結局、亡くなりましたがいい医師の元で診てもらえて良かったと思います話がそれましたが、不治の病とは病名や病態で分けられるものではないと思います患者本人が不治の病だと思えば、極端な話、胃炎でも不治の病になりえると私は思います患者に必要以上に不安感を与えないためにも、医療従事者は言葉は選ばなくてはいけないと思います何気なく言った言葉を患者は一生懸命聞いていることもあります( 携帯からの投稿です )
こんにちは ノッチと申します いつも大変参考にさせていただいてます。さて不治の病ですが、わたしはあると考えます 叔母がこうげん病と診断され原因不明の高熱や発疹、体中の痛みともう何十年も戦っています。何件も病院にいき、民間療法で良いといわれるものも様々試してきましたしかし良くなったり悪くなったり一進一退を続けています。治療のしようがなく治らないといわれる難病ですのでその点だけをみれば不治の病といえると思います ただ、叔母も自分の体をよくしっていて、とても上手に病気とつきあっているのです それが少なくとも今以上の病気の進行をストップできているように感じます( 携帯からの投稿です )
みなさんはじめまして。CHICAGOと申します。> 突然ですが、「不治の病」ってあると思われます?> それとも、「すべての病は治る」と思われます?人間の本来持っている自然治癒力を最大限に発揮できる状態であれば、全ての病気は治ると思います。自然治癒力に勝る薬はありません。ですが、西洋医学の薬物療法や手術等は、逆に自然治癒力を阻害します。病気を悪化させるものもあります。実際“不治の病”を作り出しているケースはたくさんあります。特に難病といわれるものに多いですね(認めない医師は多い、というかほとんどかしら)。> 私なんかは単純なので、「不治の病」はいっぱいあると思います、って答えてしまうんですけど。本来患者は皆“病気を治したくて”病院へ行きますよね。医師によって診断や治療に少しずつ違いはあるのはわかっていても、薬物療法に対して疑いを持たない人は多いです。だから信頼の置ける医師(薬物療法を行う医師)のいうことを実行して薬を服用していれば病気は治るんだと信じている人はたくさんいると思います。それなのに、医師であるやもさんが“不治の病はたくさんある”なんて言ってしまっていいのでしょうか。“どうして西洋医学では治らないんだろう”って、その先の考えに進もうとなさらないのですか?小児科医だということもあるかとおもいますが。。> たびたび問題になっていることですが、私は医療とは「必ず治す」ためのものであるという側面よりも、むしろ「寄り添って共に生きる」ための道具・知恵なのではないかと思います。もしもそうだとしたら・・・それはやはり西洋医学では治せない“不治の病”だということになりますよね。だって“治せる”なら“必ず治す”はずですものね。私はこういう考えが“不治の病”を作り出しているのだと思います。これは決してやもさんへの批判をしているわけではないんです。問題があるのは現代の医療体制、医師の患者側から見た病気への取り組み、患者の病気への勉強不足(これは知りたくても本当の情報が一般人には入りづらいことも原因としてある)なんだと思います。でもこれって一体どこに責任があるの??って感じなんですよね。。私の尊敬する医師たちは、西洋医学の医師であるにもかかわらず、現在の間違った医療に対して立上り、独自の治療法を全国に広めつつあります。西洋医薬全般を否定するものではなく、“生死にかかわる”ときなどに、自然治癒反応を阻害しないくらいの量や種類を使用することもあります。そもそも病、病気ってなんでしょうか。からだの悪い部分の影響が身体に症状として現れていることでしょうか。それは違うと思います。病気とは、治癒反応そのものなんです。風邪もウィルス撃退の為の反応ですよね。高血圧も、ストレスなどによる交換神経緊張状態が続いたり、血栓等で血流がわるくなっている時に“必要だからこそ”おこるものです。アトピーも喘息も、体内にいらないものがあるからこその排泄反応です。自然治癒力を最大限に発揮させながらそれを乗り越えたときこそ、病気の原因をなくし、治癒は訪れます。根本治療です。"医学は日に日に進歩している"なんていわれているこの時代ですが、何十年もの間原因不明の病気が多すぎます。原因がわかればおのずと道はひらけるんです。上記の医師たちは病気の原因を明らかにしています。なんだか“病気”という言葉に振り回されているような気がしてなりません。。。
ぺこままです。家の娘も不治の病なんですね認めたくなかったし受け止めたくもないけど娘は頑張ってくれているのであたしもこの不治の病と闘っている小さな戦士達を支えて行こうと思います。( 携帯からの投稿です )