何処に聞けばいいのか判らないので、こちらで質問します >むしろ発作の後は体の状態が良いはずですし、そのことを実感している親は多いと思います。とありますが、発作の後とは、いつの事なんですか?いまいち、良く判りません発作の後が来るまで、放っておく事は出来ない状態なんですが?それとも、入院し、退院した後の事なんでしょうか?良く、判っておられるとは、思いますが、発作が起こると、血中の酸素濃度が下がるので、状態が良いとは言えないんですが…また、違うんでしょうか?
むっちょさんの投稿を読んでみて私も気になりました。喘息発作の時の息苦しさ、恐怖感、焦燥感を思い出すと、「発作が起きた方が楽」とも読める文章は疑問を感じました。何度か子供の様子も見ていますが、やはり発作後の方が楽、とは・・・とても感じられなかったです。私の読み方がまずいのでしょうか?
文章を担当しましたharipoです。その文章は、情報源の「薬に頼らない」というカテゴリーにあったと思います。いちいち病院へ行って処置を受けるほどでもないが、家庭で対応しているというレベルを念頭にしていました。喘息のあとに、むしろ体の状態がよいというのは、発作がおこる直前よりも直後のほうが、喘息という症状を必要としていないコンディションである、つまり喘息という病気からみえれば、発作の直後がもっとも体が変っているということです。これを血中の酸素濃度とかいった症候からみてばかりいるから体が見えない。このことを考えていただくために、次のスレッド(症状の肯定的意味)を参考にしていただきたいと思います。
現代の常識はあまりにも対症療法的だと思います。緊急を要しない軽症例であっても、症状(苦痛)を軽減するという目先のテーマが重視されすぎて、不自然が多すぎると考えています。症状とは、体の壊れた結果としてでているものばかりではありません。症状の肯定的な意味を考えると次の3つになると思います。1 ブレーカーとしての症状疲労などによって無理が累積したときに、それ以上無理をさせないために、痛みなどの症状が起こる。これは局所にとっては故障かもしれないが、全体性からみればブレーカが働いた構図と考えることができる。2 防御反応としての症状発熱などを例として考えると、それは免疫を活性化させ、細菌の増殖を抑制し、感染症から体を防御するために起こる。3 回復反応としての症状打撲や骨折のあとに炎症などが一例として考えると、それは損傷を受けた場所の回復が活性化するために起こる。喘息の発作は、もちろん重症例では速やかな医学的処置が必要です。しかし、薬を使うほどでもなく、家庭で対応しているレベルであれば、この肯定的症状という考え方を知っていただくことで、その後の捉え方がかわってくると実感しています。私の経験からの話です。小児喘息の子供に東洋医学的な治療(鍼灸など)をおこなうと、その晩に喘息発作を起こす例がよくあります。親とすれば、治すために治療をうけたのに、治療をうけると発作が起こるとは心外だといわれます。しかしそれは、喘息という病気を喘息発作というものに置き換えてみているからであり、症状がでなければ、良好な状態と勝手に思い込んでいるからですね。現実には、喘息発作がおきていなくても、喘息発作をおこす体ならば、なにも違いはありません。今まさに、発作を起こしている体も、今は発作を起こしていないからだもイコールなのです。治療をして、そのあと発作が起こるというようなことを何度が繰り返してゆくと、やがて次第に治療をした晩も発作がでなくなってきます。こうなってくると日常的な発作も減ってくる。結果的に、喘息発作を抑制するよりも、喘息発作をひきだしたほうが、体そのものが変化してくる感じです。そのような経過の例を何度も経験すると、喘息が必要だから喘息が起こっていたのではないかという、喘息症状の肯定的意味を考えずにはいられません。ここに書いたことは一つの考え方です。とても受け入れならない違和感のある考え方と思う方も多いでしょう。しかし重要なことは、同じ現実に向かい合うなら、どのように考えたら、今までよりも楽になれるかということにあると思います。喘息のあとは「しんどい」と思うのと、これで少し「変ってくるのかなあ」と思えるのでは、どちらが有利なのか。私の関心は、常にそういう方向に向いています。
回答ありがとうございます正直に言います回答頂いても、いまいち、判り難いと言うのが、本音ですが、言いたい事は、判ったような気がします酷い状態には、当てはまらないという事で、良いんでしょうか?最後の言葉は、考え方の問題だと言う風に捉えました同じ事が起こっても、良い風に考えるか、悪くとらえるかと言う事ではないのですか?すいません、お馬鹿なので、間違っていれば、また、返信にいれてください
> 回答頂いても、いまいち、判り難いと言うのが、本音です> が、言いたい事は、判ったような気がします> 酷い状態には、当てはまらないという事で、良いんでしょうか?なんとなくわかった気がしていただければ十分です。私が説明しようとしていることは、初めての方にはなかなか納得しにくい部分があると思います。もしも、このようなことに興味があり、このようなことを考える材料が増えてゆくと、その分だけ、理解もかわってゆくかもしれません。> 同じ事が起こっても、良い風に考えるか、悪くとらえるかと言う事ではないのですか?そうですね。でも少し違うかも。ポジティブシンキングのように、無理やりよい方向へ考えるということでもなく、そもそもの着眼点とその後の考え方のパターンを変えるということなのだと思います。
すいません、やっぱりわかりませんでも、回答して頂いて、ありがとうございました色々考えるきっかけには、なりましたそれだけでも、ちょっと進歩かな^^;
haripoさん、みなさん。こんにちは。> 1 ブレーカーとしての症状> > 疲労などによって無理が累積したときに、それ以上無理をさせないために、痛みなどの症状が起こる。これは局所にとっては故障かもしれないが、全体性からみればブレーカが働いた構図と考えることができる。私の風邪の場合ですが、、風邪を引いて発熱して何日か寝て、友人のマッサージを受けたらいつものような肩のコリとか眼のツボとかがすっきりしていたようです。以前野口整体の「風邪の効用」という本を読んだ後だったので、なるほど〜と思いました。この場合はブレーカーが落ちて「寝なさい!」と体が言っているんですね。そうなる前に体の声を聞いてあげていない私。。体は自然に治そうする力は持っている。でも、喘息はつらそうだし、見ている親も大変ですよね。成長とともに改善していくといいですね。
haripoさんの書き込みをみると喘息の発作を起こすと喘息の体質が改善されて発作が起きにくくなると読めるのですが、「小児喘息針等の治療」「生活環境の改善」等を行わなくても自然治癒すると考えてらっしゃるのでしょうか?
> haripoさんの書き込みをみると喘息の発作を起こすと喘息の体質が改善されて発作が起きにくくなると読めるのですが、「小児喘息針等の治療」「生活環境の改善」等を行わなくても自然治癒すると考えてらっしゃるのでしょうか?いいえ、決してそういう意図ではありません。発作そのものに肯定的意味があり、発作がコンディションの改善に役立つ可能性について意見を述べているだけです。生活環境、生活パターンの改善など、工夫できることをしない理由にはあたりません。
haripo さん、解説ありがとうございます。私も、少なくとも、はじめの情報源の文だけ読むよりは疑問だらけではなくなったように思います。ただ、今の検索方法ですと、該当するのは短い文だけなのでそこだけ読むと誤解されやすいのではと思いました。これは、喘息小児針に関しても同様に感じました。確かに、喘息発作を必要とするからだというのは厄介です。しかし子供にとって、今の生まれ育つ環境に適応できなくて発作、というのが、本当は悪いことなのかどうか疑問でもあります。これはひょっとして生き物として正しい反応なのじゃないかと。そう思うことがあります。他の事情で引っ越しをして、幹線道の近くだった住まいから、少し奥に入ったところに住み替えました。それだけですが最近、発作を起こすことがほとんどなくなりました。もちろん、子供が成長しているためもあるだろうし、他にもいろいろな要因が関わっているのでしょうが、すくなくとも薬だけで無理矢理適応を強いることのないようにしたいと考えさせられました。親の都合ばかりが優先されないように、落ち着いて考えないと、目先の症状に振り回されて見失っているものがあるかもしれないですね。haripo さんのおっしゃる東洋医学に詳しくはないので、そのための違和感もあるのかもしれません。頭痛の時にすぐ薬を飲むか・こめかみを押すなどするかというように、ただ局所の薬治療だけに固執して一喜一憂するというのではなく、必要に応じて指圧で体の中で滞っている血流を促進したり、関連する神経から脳細胞に刺激を送ったりということもしながら、からだ全体が良い方向に向かうように考えられるとよいのですよね。ありがとうございました。