私は鍼灸を仕事にしています。小さな子供をつれてくる親御さんは、「薬はあまり飲ませたくない。鍼灸のように自然な方法がよいと思って」と、そんなところが動機になっていらっしゃるようです。ところがそういう親御さんとお話してみると、その要求はぜんぜん自然ではない現実にぶちあたります。多くの方は、西洋医学的な発想のことを、他の代案でやろうとしているに過ぎません。例えば咳が出ているなら「咳を止めてください」という。現代医学の薬には「毒性」があるからあまり飲ませたくないが、咳は止めてあげたい。そこで、ホメオパシーだとか鍼灸だとか、そのほかの民間療法だとか、なんでも登場してきちゃう。これって本当はとてもおかしいことなのです。方法論だけが自然をもとめ、発想は現代医学のままです。現代医学を「不自然の代表」のように言っていながらですよ。自然、不自然をいうならば、それはまず物事の捉え方、発想を考え直さなければならないでしょう。違った発想で考えてみれば、咳ひとつとってみても、その症状はあったほうがよいと結論されるかもしれない。「自然な」という形容詞は、そういう世界に存在する気がします。そして、もしもそのときに、「いいえ、私はないほうがよいと思う」と結論されるなら、その発想に適合した方法論を選択すべきと思います。
おはようございます namyです日頃のご苦労、お察しします。> ところがそういう親御さんとお話してみると、その要求はぜんぜん自然ではない現実にぶちあたります。> > 多くの方は、西洋医学的な発想のことを、他の代案でやろうとしているに過ぎません。「代替療法」って言葉を最近知ったのですが、なんだか違和感がありました。まず、西洋医学ありき、で、他に替わるものという雰囲気が漂ってきたので。西洋医学にも東洋医学にも得意分野と不得意分野があると思います。私個人としては、救急救命や進行の早い病気の時は西洋医学を中心に受けたいし、慢性的な全身の歪みやバランスの崩れから来るような病気の時には東洋医学を中心に受けたい。で、どっちの医学の専門知識もない素人としては、どっちも一度に相談できる場所があるとどんなにいいかなぁ〜とつい思ってしまいます。おいしいとこどりと言われてしまうと、ホントそうですね。日々の診察の中で、この症状は病院に行った方がいいぞ〜という患者さんがいらっしゃることはありませんか?例えば、私が通っている(そういえば。。。最近は運動でだいぶ改善されたのか、しばらく行ってませんわ)整骨院の先生と話したとき、たいがいのものは時間をかけてじっくり治す(体全体から調整)が、病院に行った方がいいと判断したばあいには一応紹介している(それでもそこで治療したいという患者さんは受け入れてるようですが)とおっしゃっていました。> 例えば咳が出ているなら「咳を止めてください」という。子どもを持ったばかりの頃は、熱が出た!→下げなきゃ!!鼻水が出た!→止めなきゃ!!ってマジで思っていました。だから、上の子はよく小児科に連れて行ってました。(私の母もその発想の傾向があるので、病院の薬がないと病児の子守をお願いする時不安がりますし。)でも、解熱剤の話や熱はなんのために出ているかといった事を知って、下げればいいってものでもないんだなぁ〜と思うようになりました。なので、下の子は様子を見ている間に突発も終わってしまった。。。たまにヘルプしてもらっている母もだいぶ慣れてきたようです(最近の育児ってこうなのね〜と勝手に思っているらしい)。> 現代医学の薬には「毒性」があるからあまり飲ませたくないが、咳は止めてあげたい。> そこで、ホメオパシーだとか鍼灸だとか、そのほかの民間療法だとか、なんでも登場してきちゃう。> これって本当はとてもおかしいことなのです。> 方法論だけが自然をもとめ、発想は現代医学のままです。> 現代医学を「不自然の代表」のように言っていながらですよ。> > 自然、不自然をいうならば、それはまず物事の捉え方、発想を考え直さなければならないでしょう。自然、不自然の定義って難しいですね。人間の存在自体が不自然って話もあったりして。。。私が環境のことを考えるときにもこの自然、不自然の壁にぶつかることがあるのですが、そのときにはもちろん人間ありきで考えますが(^ ^)。> 違った発想で考えてみれば、咳ひとつとってみても、その症状はあったほうがよいと結論されるかもしれない。これは、やはり何か(歪みとかバランスとか開閉とか)を自分で治そうとしている現われととらえるのでしょうか?> 「自然な」という形容詞は、そういう世界に存在する気がします。> > そして、もしもそのときに、「いいえ、私はないほうがよいと思う」と結論されるなら、その発想に適合した方法論を選択すべきと思います。目の前で非常に苦しそうに咳をしている我が子がいたら、親としては少しでも症状を楽にしてあげたいと思います。でも、実は、東洋医学の観点から見ると、総ての症状には意味があって、取り除かない方が良かったりするのでしょうか?ケースばいケースの話になってしまうとは思うのですが。あと、東洋医学的な治療を受けるには、日頃の体の反応性(みたいなもの)を磨いておく(鍛えておく?)必要があるように思いますが、その辺のことも教えていただけると嬉しいです。
久しぶりに風邪を引きました。なんとなく頚部の緊張が抜けない感じだったのが、風邪を引いたらその緊張が急に変化してきて、「やっぱり風邪は、慢性疲労が快復するためのトリガー(きっかけ)なのだなぁ」と確信するのでした。今回は頚部の緊張が抜けるときっと風邪も治る。この話をもう少し砕いてご説明しますね。まず、私たちには日常的に疲労があります。自覚される疲労は筋肉的な疲労です。精神的な疲労でさえも、肩や腰の緊張ということで表現されます。そして、筋肉的な疲労とは筋肉の硬直化のことです。疲労の蓄積が少ない場合には、軽い運動や入浴、睡眠などの休養によって筋肉の硬直化は緩和されます。しかし、緊張が累積すると、だんだんと緊張が弛まなくなる。こういう状態を東洋医学では「気のめぐりが悪い状態」といいます。科学的に言えば、慢性筋緊張によって循環や代謝が阻害されている状態とでもいうことでしょうか。そのような状態が続けば、例えば局所の免疫力が低下します。頚部などの緊張は、扁桃輪(のど)の抵抗力に悪い影響があることが予想されますね。すると、ある人はのどに感染が起こる。つまり感染に抵抗するだけのシステムが不全であるわけです。いったん感染により炎症がおこると、感染に対応するために局所の代謝が急速に快復します。炎症は新陳代謝が高まった状態です。この一連の対応システムの中で、慢性的な筋肉の疲労も内から弛緩がはじまる。きっと代謝の確保などにとって重要だからでしょう。とにもかくにも、そのようにして、慢性的な疲労が快復をとげる。東洋医学的な見方をすれば、風邪をひいたら気のめぐりがよくなったということになる。症状が必要なのか、抑えるべきなのか、と質問されたら、メリットがあれば症状を歓迎するということになるでしょうか。(日常的に経験する大方の病気には、意味とメリットが見出せます)その場合には目先のわずかな苦痛など関係ない。親心はわかりますが、「体育の時間だ」とでも思って、苦しみも前向きに体験させる。病気を経過して成長する体力というものもあるのだと考えます。子供は日常の反応性が非常によいものです。namyさん質問された反応性の工夫など特に必要ありません。さっきまで元気だったのが、いきなり高熱を出した。そういう体であれば反応性がよい。しかし、多くの方の観念は、そういう体を病弱と思っています。そして、反応性が鈍くなるような工夫を健康のためだと信じている。だからこそ、方法論だけ「自然な方法で」といっても無理だと申し上げるのです。現代人的なつまみぐい方法論の統合は、健康や病気への対応に混乱と矛盾を広げるだけです。要は、方法論やノウハウではなく、身体とのかかわりをどう考えるのか、そのイズムにあるのですね。どのような身体とどのような成長を願うのか。ゼロリスクでなるべく無事にと願うなら、「自然な方法」はあまり適しません。自然な方法には淘汰圧がより多く作用する。生命に負荷が大きい。だけれども、そのような負荷が、よりしっかりした成長、大きなリターンにつながる。その辺の価値観がしっかりしないと、なにも結果につなげることができないと思います。
まつ です。主に後半部分へのレスです。引用順序かえています。> 要は、方法論やノウハウではなく、身体とのかかわりをどう考えるのか、そのイズムにあるのですね。この辺りは、私が考えていることと全く同じなので、ちょっと安心しました。このように、はっきりと書かれた文章は、なかなか見つけれらないので。。。> その場合には目先のわずかな苦痛など関係ない。親心はわかりますが、「体育の時間だ」とでも思って、苦しみも前向きに体験させる。病気を経過して成長する体力というものもあるのだと考えます。でも、結局、「親心はわかりますが」のところがネックになってしまう気がします。素人には「わずかな苦痛」かどうかはなかなか判断できないので、どうしても最悪の事態へ進んでいるように感じられてしまいます。ですから、たとえ頭では分かっていても、実際に目の当たりにしてしまうと、なんとか取り除いてあげたいと感じてしまうのも、自然な親の反応だと思います。> ゼロリスクでなるべく無事にと願うなら、「自然な方法」はあまり適しません。> 自然な方法には淘汰圧がより多く作用する。生命に負荷が大きい。> だけれども、そのような負荷が、よりしっかりした成長、大きなリターンにつながる。ここまでのお話も、おっしゃる通りだと思います。でも、そう割り切れる親は少ないでしょうね。。。なにしろ、身の回りには、病気を回避できる手段が多すぎます。余談ですが、私が子供の育て方(病気に限らず)で迷ったとき、疑問に思ったときは、200年前、500年前ならどうしていたかな?と考えてみることがあります。
> 久しぶりに風邪を引きました。> なんとなく頚部の緊張が抜けない感じだったのが、風邪を引いたらその緊張が急に変化してきて、「やっぱり風邪は、慢性疲労が快復するためのトリガー(きっかけ)なのだなぁ」と確信するのでした。今回は頚部の緊張が抜けるときっと風邪も治る。すっかりご無沙汰してしまってすいません。バタバタしてました。haripoさんの風邪は、もうすっかりよくなられたでしょう(^ ^)。> この話をもう少し砕いてご説明しますね。> まず、私たちには日常的に疲労があります。自覚される疲労は筋肉的な疲労です。精神的な疲労でさえも、肩や腰の緊張ということで表現されます。そして、筋肉的な疲労とは筋肉の硬直化のことです。> 疲労の蓄積が少ない場合には、軽い運動や入浴、睡眠などの休養によって筋肉の硬直化は緩和されます。> しかし、緊張が累積すると、だんだんと緊張が弛まなくなる。> こういう状態を東洋医学では「気のめぐりが悪い状態」といいます。> 科学的に言えば、慢性筋緊張によって循環や代謝が阻害されている状態とでもいうことでしょうか。> > そのような状態が続けば、例えば局所の免疫力が低下します。> 頚部などの緊張は、扁桃輪(のど)の抵抗力に悪い影響があることが予想されますね。> すると、ある人はのどに感染が起こる。つまり感染に抵抗するだけのシステムが不全であるわけです。> いったん感染により炎症がおこると、感染に対応するために局所の代謝が急速に快復します。炎症は新陳代謝が高まった状態です。> この一連の対応システムの中で、慢性的な筋肉の疲労も内から弛緩がはじまる。きっと代謝の確保などにとって重要だからでしょう。> とにもかくにも、そのようにして、慢性的な疲労が快復をとげる。東洋医学的な見方をすれば、風邪をひいたら気のめぐりがよくなったということになる。すごく分かりやすいです!ありがとうございます。私も、思い当たることたくさんあります。たいがい、やばいな〜と思う背中のコリとか感じると、整骨院のお世話になって、緊張した部分をほぐして、バランス調整してもらっていました。でも、それってもしかして、症状を受け入れてないことになるのでしょうか???> 症状が必要なのか、抑えるべきなのか、と質問されたら、メリットがあれば症状を歓迎するということになるでしょうか。(日常的に経験する大方の病気には、意味とメリットが見出せます)> その場合には目先のわずかな苦痛など関係ない。親心はわかりますが、「体育の時間だ」とでも思って、苦しみも前向きに体験させる。病気を経過して成長する体力というものもあるのだと考えます。どこまでだったら体育の時間と扱えるのかの見極めが難しいです。最近は、子どもを取り巻く環境はひとりひとり違うのだから、その見極めも、「みんな違ってそれでいい」と思うようになりました。そうそう、具体的にまだ悩んでるのが、はしかです。東洋医学的には、はしかの罹患も必要なものと扱うのでしょうか?> 子供は日常の反応性が非常によいものです。namyさん質問された反応性の工夫など特に必要ありません。あ、すいません。これはいつの間にか自分のことを言っていました。整骨院に通い始めた頃は、ただ、「押してもらうと気持ちいい」という感覚だけだったのですが、最近は「こことここが繋がってて、そこを動かすと、ここも活性化するような気がする」って感じになってきました。> さっきまで元気だったのが、いきなり高熱を出した。そういう体であれば反応性がよい。> しかし、多くの方の観念は、そういう体を病弱と思っています。> そして、反応性が鈍くなるような工夫を健康のためだと信じている。> だからこそ、方法論だけ「自然な方法で」といっても無理だと申し上げるのです。> 現代人的なつまみぐい方法論の統合は、健康や病気への対応に混乱と矛盾を広げるだけです。> 要は、方法論やノウハウではなく、身体とのかかわりをどう考えるのか、そのイズムにあるのですね。> どのような身体とどのような成長を願うのか。> ゼロリスクでなるべく無事にと願うなら、「自然な方法」はあまり適しません。> 自然な方法には淘汰圧がより多く作用する。生命に負荷が大きい。> だけれども、そのような負荷が、よりしっかりした成長、大きなリターンにつながる。> その辺の価値観がしっかりしないと、なにも結果につなげることができないと思います。なかなか難しいですね〜。先週、原因不明なのですが、娘の手が化膿してしまい(一見、火傷のような外傷なのですが、保育園でもそのような熱いものは手の届くところに置いてないですし。。。で、原因不明なのです)、皮膚科に通っています(片手は包帯ぐるぐる巻き状態)。とても、このままひどくなる状態を受け入れることはできず(手が腐っちゃうんじゃないかと不安で〜)、ケガという急性のものであるということも考えて、皮膚科医の処方どおり抗生物質飲んでいます。飲み始めた翌朝、腹部から胸部にかけてうっすら発疹が出ました。皮膚科医に電話しても休診日で連絡付かず、その後投薬するかどうか迷いましたが、血中濃度を保つために、様子をみながら、飲ませることにしました。ドキドキの1日でしたが、翌日の通院時にはその発疹は消えていました。さて、これを今回世話になった皮膚科医の先生はどうみたでしょうか?・薬を続けていて発疹が消えてたのだから、薬疹ではない。(もし私が1日目で投薬を見合わせていたら、絶対薬疹だと思うよな〜私)・疲れや体調の不調で出るじんましんであろう。・またじんましんが出て、子どもが痒がる場合用の薬も処方する。(これにはビックリしました)今回は外傷ということで、看病記録は書いてないのですが、いろいろ相通じるものがあって投稿させていただきます。
> でも、それってもしかして、症状を受け入れてないことになるのでしょうか???コリに関しては、症状というよりも、慢性疲労を感じているということですね。ここでいう症状とは、身体が自発的になんらかの反応をしていることを言っています。コリのようなものは単なる状態ですから、ちょっと違うのですね。> どこまでだったら体育の時間と扱えるのかの見極めが難しいです。> そうそう、具体的にまだ悩んでるのが、はしかです。> 東洋医学的には、はしかの罹患も必要なものと扱うのでしょうか?「体育の時間」とするような考え方や、その見極めは難しいですよね。ただ、自然な方法を考えるということは、突き詰めればそのような発想をもつイズムにたどり着くという話であって、「あなたも、こうあるべきだ」という話ではないつもりです。みんなそれぞれでよいと私もおもっています。東洋医学的に、はしかの罹患が必要かと問われると難しいですね。そもそも予防接種がない時代の理論ですからね。自然罹患の必然性など議論の余地もないのです。
> > でも、それってもしかして、症状を受け入れてないことになるのでしょうか???> > コリに関しては、症状というよりも、慢性疲労を感じているということですね。> ここでいう症状とは、身体が自発的になんらかの反応をしていることを言っています。> コリのようなものは単なる状態ですから、ちょっと違うのですね。あ、症状と状態は違うんですねφ(.. )勉強になります。コリから来る頭痛とか→状態こんな状態のとき、風邪にやられることが多いので、なんだか混同してます。とにかく、助けて〜!と治療院に駆け込むこと多かったです。常連妊婦でした(^ ^;)。> 「体育の時間」とするような考え方や、その見極めは難しいですよね。> ただ、自然な方法を考えるということは、突き詰めればそのような発想をもつイズムにたどり着くという話であって、「あなたも、こうあるべきだ」という話ではないつもりです。> みんなそれぞれでよいと私もおもっています。そうですよね〜。それぞれの想いをここで共有できたらいいなぁ〜と個人的に思っています。イズムって何?と思ったので調べてみました。(すいません無知な私)ism:【名】 イズム、学説、主義(by 英辞郎on the Web)う〜ん。難しいです。私の場合、突き詰めていくと、自然って何?ってところに行き着きます。人間は自然と戦って(?)、つまり、火を使ったり、栽培という技を編み出したり、してこれまで生き延びて来たわけですよね。どこからが自然でどこからが不自然なのか線引きが非常に難しいです。極論を言ってしまうと、西洋医学だって自然の範疇とこじつけることもできてしまう。私のイズムは何なのだろう。。。「次世代を育て上げる」そこには目の前の子の今日明日の短期的視点と、その子の子どもの時代という長期的視点があって、前者の安全がかなりの確率で確保された上で、いくつかの選択肢があるならば、なるべく後者に有益と思える方法を選択したい。生き延びていくためには、ワイルドな能力(?)みたいなものが必要で、それは幼少期に培われるもののような気がしています。やっぱり私、欲張りで、いいとこ取り主義のようです。> 東洋医学的に、はしかの罹患が必要かと問われると難しいですね。> そもそも予防接種がない時代の理論ですからね。自然罹患の必然性など議論の余地もないのです。そういうことですね!合点!まつさんのNo.103> 余談ですが、私が子供の育て方(病気に限らず)で迷ったとき、疑問に思ったときは、200年前、500年前ならどうしていたかな?と考えてみることがあります。にも通じますね!急速な科学技術の進歩のおかげのこのPC環境、で情報交換をしている現代人の私。でも、時には手紙のほうがしっくりくる時もあるし、やっぱり会って話さないと分かりあえない時もある。アナログな方法も含めて、より有益で心地よい手段を選択したい。なんか、そんな発想と共通しているように思います。私が子育て(看病等も含めて)に感じていることって。
haripoさんこんにちは。> そこで、ホメオパシーだとか鍼灸だとか、そのほかの民間療法だとか、なんでも登場してきちゃう。> これって本当はとてもおかしいことなのです。> 方法論だけが自然をもとめ、発想は現代医学のままです。> 現代医学を「不自然の代表」のように言っていながらですよ。なんだか私のことのように思いました〜。子どもが百日咳になったのですが(詳しくは看病記録)、「なんとかして咳を止めてあげたい。」しかありませんでしたから、抗生物質が効くとなれば処方された薬は飲ませました。予防接種をしなかったのも初期の段階であれば抗生物質が効くというのが理由の一つでもありましたし。でも、症状が治まって血液検査をしてみたら、血液検査の数値は高い抗体がでていませんでした。親としてみればあんなに大変だったのに、もう一度かかる可能性はあると言われると百日咳という名の通り、罹って終生免疫つけるとすれば、薬は飲んではよかったのか?今となっては飲まずにはいられませんでしたが、百日(三ヶ月ちょっとなんて)親も耐えられませんでした。民間療法もほとんどやらなかったし、試したけれど子どもか嫌がってる、結局は私は上体を起こして背中をさすってあげることしかできなかったように思います。「なんでエホエホするの?」なんて聞かれたときは「今ね、(喉のあたりさして)ここに太郎の小さいウルトラマンが、エホエホ星人と戦って鼻水になって逃げてきてるんだよ。だから、鼻水はエホエホ星人だ〜」なんて、いい加減な親だと思いながら言ってました。普通の風邪のときや鼻水垂らしているくらいではいつも放っておいて、薬はもらっても飲ませないことが多かったのですが、haripoさんがおっしゃることもわかるな〜と思いつつも「自然に」って難しいなと思いました。
くじらさん こんばんは ママの疲労もだいぶ緩和されましたか?> でも、症状が治まって血液検査をしてみたら、血液検査の数値は高い抗体がでていませんでした。> 親としてみればあんなに大変だったのに、もう一度かかる可能性はあると言われると百日咳という名の通り、罹って終生免疫つけるとすれば、薬は飲んではよかったのか?> 今となっては飲まずにはいられませんでしたが、百日(三ヶ月ちょっとなんて)親も耐えられませんでした。うちも、長男が2歳になったばっかりのときに水疱瘡になって、ゾビラックスを処方され、あまり薬に頓着なかったので、最近はこんなお薬があるんだぁ。と飲ませました。登園許可をもらいに行ったとき、枯れた発疹の痕を見ながら「これだけ、発疹が出てれば免疫もついたでしょう。たまに、抗ウイルス剤が効きすぎて免疫がつかないこともあるからね〜。」とお医者さんがおっしゃったのです。「え〜!飲む前に教えてよ〜!!」時すでに遅しですが、帰り道お薬の本買っちゃいました。あと、3年ぐらい前に私自身がはしかとおたふくと風疹の抗体検査を受けました(ほとんど趣味の域で、行きつけのレディースクリニックの先生には不思議がられましたが)。その時、どれも一応陽性値なので、子どもがかかっても一緒に倒れることはないであろうということが分かりました。(私ははしかと風疹は予防接種組なのですが、きっと周りからブースター効果をいただいてきたんだと思っています。)しかし、その時の検査票を紛失してしまい、抗体価の測定もいくつか方法があるということを知って、最近お世話になっている息子のかかりつけの先生に検査をやってもらえないか聞いてみました(内科も併設で同じ先生なので)。しかし、「陽性値が出なかったからといって、全く免疫がないと言うわけではなくて、要は、その病原体に会った時、どれだけ抗体が増えるかが重要なのだから、抗体検査にそれほど固執する必要はないんじゃないかな?」と言われ、なるほど〜と思いました。ホントの所どうなんでしょうね?免疫と予防接種、免疫と薬。。。たとえ医学系の方でなくても、たとえば生物学などがご専門のパパさんとか立ち寄って投稿してくださると嬉しいですね〜。わくわく。> 民間療法もほとんどやらなかったし、試したけれど子どもか嫌がってる、結局は私は上体を起こして背中をさすってあげることしかできなかったように思います。それが、子どもにとっては一番安心するんじゃないかなぁ?> 「なんでエホエホするの?」なんて聞かれたときは> 「今ね、(喉のあたりさして)ここに太郎の小さいウルトラマンが、エホエホ星人と戦って鼻水になって逃げてきてるんだよ。だから、鼻水はエホエホ星人だ〜」なんて、いい加減な親だと思いながら言ってました。え〜!私はすごく分かりやすいお話だと思ったよ。私にはそういうセンスがないので、いっつもうまく説明できないのよね〜。このお話いただき!!
> 多くの方は、西洋医学的な発想のことを、他の代案でやろうとしているに過ぎません。> 例えば咳が出ているなら「咳を止めてください」という。> 現代医学の薬には「毒性」があるからあまり飲ませたくないが、咳は止めてあげたい。> そこで、ホメオパシーだとか鍼灸だとか、そのほかの民間療法だとか、なんでも登場してきちゃう。> これって本当はとてもおかしいことなのです。> 方法論だけが自然をもとめ、発想は現代医学のままです。> 現代医学を「不自然の代表」のように言っていながらですよ。少し前の私のことかと思いました。よいと聞けば何でもやろう、という感じ。薬も飲ませてホメオパシーも民間療法もという具合です。> 自然、不自然をいうならば、それはまず物事の捉え方、発想を考え直さなければならないでしょう。> > 違った発想で考えてみれば、咳ひとつとってみても、その症状はあったほうがよいと結論されるかもしれない。> 「自然な」という形容詞は、そういう世界に存在する気がします。私もやっと最近になって考え方を改めるようになりました。風邪も疲れているからひいたんだな、とか必要があるから咳が出ている、とか。私自身は風邪をひいたと思った時に発熱したらその時はちょっとつらいけど、熱がひいた後すっきりするので発熱した方がいいかも、と思うようになりました。息子に関してもそうですね。2、3日程度の鼻水や咳に関しては歓迎、したいところなのですが苦しそうな咳がずっと続くとやはりまだ自信がありませんね。いっそ熱が出ればいいのに、とは思いますが。下痢も必要だからしているわけでとは思いはじめています。ただ、やはり息子の場合は元々の疾患があったのでなかなかどうしたものかな、とも思ったりします。実は突発の診断を受けた時にかかった小児科の医師に「そういう方針なんですね」(要は自然派)と言われてから思い始めたことがあり、それまで飲ませていたお腹の薬を一切飲ませるのを止めました。たった3日の風邪薬(風邪ではなかったけど)を飲ませないのに、お腹の薬は産まれてからずっとだから2年、腸内の水分を調節する、いわゆる下痢用の薬は8カ月も飲ませていたことになります。お腹の薬はビフィズス菌と大建中湯という漢方薬だからまぁよしとしてもです。(って本当に長期的に飲ませてよいのかどうかは?)ホメオパシーや他の民間療法で息子の身体がいい方向にいくようにと思っていましたが、下痢用の薬は飲ませていたんです。これをやめてしまうととたんに便性が悪くなってゆるくなるのと回数がたちまち増えてしまったからなのですが。状態をみながらだんだんと飲む回数や量を減らしていければいいかな、と考えていました。で、「そういう方針」なのに下痢用の薬は飲ませていました。何だかおかしいと指摘されたようだと思ったからで、これって単なる私の意地なのかもしれませんが。飲み薬を止めて最初の1週間から10日間は排便回数もひどくなり、薬を復活するか悩みましたが、ホメオパシーのレメディを飲ませたり、回数が多くなると坐薬を入れて一気に出したりしてました。やっとよくなってきた感じです。坐薬はまだ使ったりもしてますが、飲む薬よりはいいかと。それで、最近驚いていることでもあるのですが、夜中に排便をほとんどしなくなりました。このことで「今まで症状を抑えることをしてきたのかも」と思ったりもします。薬を一切非難するつもりも無く、時には必要な場合もあるとは思います。でも、その時というのを素人が判断するのもこれまた難しいことではありますね。
tomopさん こんばんは> 下痢も必要だからしているわけでとは思いはじめています。ほ〜。そういう考え方もありますねぇ。> ただ、やはり息子の場合は元々の疾患があったのでなかなかどうしたものかな、とも思ったりします。そうですよね。子どもさんがトータルで見て快適に越したことはないですもんね。うちもうんちが多い日にはおしりが荒れちゃうことあるし。> 実は突発の診断を受けた時にかかった小児科の医師に「そういう方針なんですね」(要は自然派)と言われてから思い始めたことがあり、それまで飲ませていたお腹の薬を一切飲ませるのを止めました。「そういう方針」って薬についてとか何か話したんですか?> たった3日の風邪薬(風邪ではなかったけど)を飲ませないのに、お腹の薬は産まれてからずっとだから2年、腸内の水分を調節する、いわゆる下痢用の薬は8カ月も飲ませていたことになります。> お腹の薬はビフィズス菌と大建中湯という漢方薬だからまぁよしとしてもです。(って本当に長期的に飲ませてよいのかどうかは?)> ホメオパシーや他の民間療法で息子の身体がいい方向にいくようにと思っていましたが、下痢用の薬は飲ませていたんです。これをやめてしまうととたんに便性が悪くなってゆるくなるのと回数がたちまち増えてしまったからなのですが。> 状態をみながらだんだんと飲む回数や量を減らしていければいいかな、と考えていました。> で、「そういう方針」なのに下痢用の薬は飲ませていました。何だかおかしいと指摘されたようだと思ったからで、これって単なる私の意地なのかもしれませんが。> > 飲み薬を止めて最初の1週間から10日間は排便回数もひどくなり、薬を復活するか悩みましたが、ホメオパシーのレメディを飲ませたり、回数が多くなると坐薬を入れて一気に出したりしてました。> やっとよくなってきた感じです。> 坐薬はまだ使ったりもしてますが、飲む薬よりはいいかと。> それで、最近驚いていることでもあるのですが、夜中に排便をほとんどしなくなりました。え〜!嬉しいびっくりですね。お子さんもママもゆっくり寝れるだろうし。> このことで「今まで症状を抑えることをしてきたのかも」と思ったりもします。> > 薬を一切非難するつもりも無く、時には必要な場合もあるとは思います。> でも、その時というのを素人が判断するのもこれまた難しいことではありますね。そうなんですよねぇ。私も、自分か夫が医者だったらなぁ〜と思うことがたまにあります。この前、スローフードを実践してらっしゃるという女医さんの記事は見つけたことがあるのですが、自然育児を実践されているというお医者さんって今まであまりお目にかかったことがありません。唯一、助産院で知り合った方のパパさんがお医者さんで、東洋医学を中心に診療されていて、レメディーも使われることがあるとおっしゃっていました。でも、うちからは遠くて子どもの急な病気に対応していただくことが難しいのが残念なんです。そういう、先生が近くにいらっしゃると心強いんだけどな〜。