他の掲示で、気になったので新たなスレで書かせていただきます。私自身、初めての子供が初めての風邪を引き熱を出しグッタリしている姿を見て「ほっておいてはいけない」様な気がして、夜中に救急車を呼んだことがあります。その時は、救急隊員の方も、到着して診察してくださった医師も、とても柔軟に対応してくださいました。それが、私の救急受診の初体験でしたので、世間で言われている救急受診の際の対応の悪さなどは理解できませんでした。しかし、2歳になった夏に再び風邪を引き、熱が40度を超えたとき、丁度お盆休みでどこの病院も開いておらず、実家に帰省中ということもあり、近くの市民病院の救急外来にかかりました。息子は急激な熱の上昇で吐き戻し、意識も朦朧としている状態に見えたので連れて行ったのに、医師の第一声は「お母さん熱では死にませんよ」耳を疑いました。何だかの原因があるからこそ発熱するのではないのか?その原因を調べてもいないのに聴診器すらあてていないのに、何故そのような言葉を発することができるのか?怒りを通り越して厭きれました。その後にも一言「今日は普通外来もやってるから、そっちでよかったんじゃないの?」もし、急を要する発熱であったとしたらどうするのか、本当にあれは医師と呼べる人だったのか・・・。二度とあの病院にはいかないと思います。題名からずれてしまいましたが、要はタイミングなんてないと思います。確かに冷静さを失ってはいけないと思いますが、家族や友人、たとえ他人であっても目の前で苦しそうだったり倒れたりして、自分が対処できなければ医療の手にゆだねるしかないのですから、ましてや自分が産んだ子供の苦しそうな顔を平気で見ていられる人なんていないはずですし。安易に救急車を呼ぶなと、医療関係の人で言う人がいますが、医療の知識のない普通の私はどこまで見守ってどこからが危ないなんて確信できませんし、運ばれて「たいしたことなくてよかったね」って言えることのほうが良いと思うのですが、これもいけないのでしょうか^^;
こんにちは。お気持ちは分かりますが、私は、一方的に医師の方が悪いわけではないと感じました。一般論でいえば、> 医師の第一声は「お母さん熱では死にませんよ」これは正しいと思います。また、子供の病気は文字通り多種多様で、発熱後すぐに病名を特定するのは、よほど特徴のある病気でない限り不可能です。むしろ、我われ患者サイドが、発熱に対してあまりにもビクビクしすぎているのではないでしょうか。医師の第一声は、そうした親をまず安心させるための決まり文句になっていると思います。> 家族や友人、たとえ他人であっても目の前で苦しそうだったり倒れたりして、自分が対処できなければ医療の手にゆだねるしかないのですから、ましてや自分が産んだ子供の苦しそうな顔を平気で見ていられる人なんていないはずですし。このあたりも、考え方次第ですね。「病気にかかることは悪いことだ」というよりも、「病気を克服することにより、子供の体がより強くなっていく」と考えれば、子供が病気で苦しそうにしているのも苦痛ではなくなります。> 運ばれて「たいしたことなくてよかったね」って言えることのほうが良いと思うのですがこれが理想ですが、救急車の数には限度があります。多くの方が気軽に救急車を呼んでしまうと、本当に急を要する人が救急車を呼べなかったり、救急外来で順番待ちになることが予想されます。以上の一般論を踏まえたうえで、普段の発熱時と明らかに様子が異なっていると判断した場合には、迷わず救急車を呼ぶ。そして、例え医師が大丈夫と判断しても、絶対に引き下がらずに、詳しく調べてもらう。子供が最初に病気になったときには、だれもが「ほっておいてはいけない」と感じるものです。私もそうでした。緊急かどうか正しく判断できるには、やはり、ある程度の経験を積み重ねるしかないと思います。お気楽ママさんは、> 医療の知識のない普通の私はどこまで見守ってどこからが危ないなんて確信できませんしと書かれますが、これが分かるよう努力するのが親の役割ではないかと思います。人間は機械ではなく、病気になったときには一人一人様態が異なります。まず、自分の子供が病気になったときの特長をしっかり把握しておく。もしもの場合には、おそらく専門的な医療知識は役に立たず、むしろ、一番多くの時間を接している親の直感の方が大事だと思います。
まつさん、こんにちわ。レスありがとうございます。> > 医師の第一声は「お母さん熱では死にませんよ」> > むしろ、我われ患者サイドが、発熱に対してあまりにもビクビクしすぎているのではないでしょうか。医師の第一声は、そうした親をまず安心させるための決まり文句になっていると思います。確かに決まり文句のようにあるのかもしれませんが、私の顔も見ず、ツッケンドンに言われたので「熱ぐらいでくるなよ」と言われているような気がしたんですよね。憶測ですけどね。> 子供が最初に病気になったときには、だれもが「ほっておいてはいけない」と感じるものです。私もそうでした。緊急かどうか正しく判断できるには、やはり、ある程度の経験を積み重ねるしかないと思います。掲示に書いた話の時点では、長男が生まれたばかりとか、2歳になったころなので、新米もいいとこですし、自分自身冷静でなかったと思うところもあります。いまは、ある程度見極めていますが、最悪の事態というか本当に救急車におせわになるべき状態になったことがないので、それより先に手を打ちたいと思っていしまっているというのが本音かもしれません。
おはようございます。意識がない、ぐったりしている、水分が取れない、などなど、明らかにおかしいと親が感じる急を要する症状がでれば、救急で病院に走るべきだと思います。ただ、救急車には限りがあるので、もし自分で走れる足があるなら、安易に呼ばず、もっと急を要する重篤患者さんに回さなくちゃ、という心構えも大切かと思います。呼吸停止、心肺停止、吐血、痙攣、交通事故、など、一刻一秒を争う、重篤な患者さんの為にこそ、救急車を使ってもらいたいです。救急車でなくとも、病院に先に電話していけば、それなりの対応をとってくれるところが多いと思います。脳炎は、発熱が原因ではないので、熱が高い=すぐ病院へ!というのは避けたほうが良いと思います。特に、インフルエンザ流行期は、医療機関も混乱してますので、本当の脳炎を発症している患者さんが、他の多くの重篤でない患者さんに埋もれてしまうのが一番怖いですよね。平時から、かかりつけのお医者さんと、こうなったらこうするというようなシュミレーションをしておくのがよいかと思います。解熱剤を処方しておいてもらって、発熱だけなら一晩様子を見れるように(乱用は問題ありますが)。(夜間救急で走っても、発熱以外たいした所見が見られない場合、解熱剤を入れておしまい、ということも多いようですし、だったら、普段からよく知っている小児科医に処方してもらった方が良いと思います。)持病があるなら、それについてもきちんと相談しておくことや、重症になった場合に、大きな病院へのかかり方、病院の紹介なんかも、聞いておくとあわてないかも。お医者さんにかかる前に、親があわてず対処できるように、こういったHPや本、または信頼できる医師から、話しを聞いて勉強しておくことが大切ですよね。平時から準備、勉強して極力呼ばないでおけるようにする、いざとなったら速やかに呼ぶ。というのはいかがですか?
ぼくママさん、こんにちわ。レスありがとうございます。> 意識がない、ぐったりしている、水分が取れない、などなど、明らかにおかしいと親が感じる急を要する症状がでれば、救急で病院に走るべきだと思います。長男2歳の時の救急外来受診時は、グッタリしてるし意識朦朧だし、薬も何もなかったのでつれていったんですけどねぇ^^;> ただ、救急車には限りがあるので、もし自分で走れる足があるなら、安易に呼ばず、もっと急を要する重篤患者さんに回さなくちゃ、という心構えも大切かと思います。それは私も思います。長男が3歳のときに私は普通免許を取ったので、それ以来夜間に医者にかかる必要があると判断した時は、電話連絡の上自分で車を走らせます。> 平時から、かかりつけのお医者さんと、こうなったらこうするというようなシュミレーションをしておくのがよいかと思います。これは、私自身考えが及んでいませんでした。小児科のかかりつけとセカンドオンピニオンはあるので(表現おかしいかも)双方の医師にかかった時に、相談してみるつもりになりました<(_ _)>> 解熱剤を処方しておいてもらって、発熱だけなら一晩様子を見れるように(乱用は問題ありますが)。本当はいけないことだし、医師にも止められるかもしれませんが、飲む必要がなくなったと判断した処方された抗生物質などはある程度の期間取っておきます。薬にも賞味期限?があるのは知っているので、2ヶ月くらいで処分はしてしまいますけどね。> 平時から準備、勉強して極力呼ばないでおけるようにする、いざとなったら速やかに呼ぶ。その「いざという時」の判断が難しいなって思っています。「コレぐらいのことで呼ばないで」といわれるより「何故もっと早く呼ばなかったの」って言われることの方が怖いですし。私自身が「薬」というものに頼りすぎて生きてきたというせいもあるのだとは思いますが、「医師」ならなんとかしてくれるという甘えが、まだまだ強いのかもしれませんね。
> > 平時から、かかりつけのお医者さんと、こうなったらこうするというようなシュミレーションをしておくのがよいかと思います。> > これは、私自身考えが及んでいませんでした。小児科のかかりつけとセカンドオンピニオンはあるので(表現おかしいかも)双方の医師にかかった時に、相談してみるつもりになりました<(_ _)>ぜひぜひ、相談してみてください。お医者さんは、病気を治す人だけではなくて、医療のアドバイスをしてくれる人と思っています。混雑時ではない時期に、聞きたいこと不安なことをしっかり聞いてもばちは当たりません。> 本当はいけないことだし、医師にも止められるかもしれませんが、飲む必要がなくなったと判断した処方された抗生物質などはある程度の期間取っておきます。薬にも賞味期限?があるのは知っているので、2ヶ月くらいで処分はしてしまいますけどね。抗生物質は、その時々の病気に合わせて、診察を受け、処方してもらう方が良いと思いますよ。飲んでもすぐは効きませんし、中途半端に飲むと耐性菌を生む危険もあります。ウイルス性の病気には効かないし、細菌性であっても使う抗生物質は違うので、その後医療機関でもらう薬とかち合っちゃいけないのもあります。素人判断で飲ませるのは危険です。抗生物質については、「飲むなら処方どうりきっちり、飲まないなら一切飲まない。」方が良いと思います。水分が飲めない、眠れない、というときに即効性を必要として使うなら、きちんと処方された解熱剤を使う(投与方法をきちんと説明受けた上で)。または持病の悪化時に頓服として処方されている物を使う(解熱剤との併用がOKかなどきちんと聞いておく)。これで対処できない場合は、無理をせず、医療機関にかかる方がよいと思います。解熱剤などの頓服薬はあまることも多いですし、いつまで、どんなときに飲ませたらよいか、医師にきちんと聞いておけば安心ですよね。また、薬を使うときは、本当に必要か?の見極めも大事ですよね。解熱剤の乱用は、病気を長引かせるような気がします(ので私はほとんど使ったことないですが・・・。)私かかりつけの病院では、「残った解熱剤を使ってよいか?診察に行ったほうがよいか?どうなったら行った方が良い?」というのも、電話をかけると医師が出て指示してくれました(電話の指示だけでも医療費はかかるようです、後日請求されました、が混んだ病院の待合室に並ぶこと思うととても助かりました。)。> その「いざという時」の判断が難しいなって思っています。「コレぐらいのことで呼ばないで」といわれるより「何故もっと早く呼ばなかったの」って言われることの方が怖いですし。> 私自身が「薬」というものに頼りすぎて生きてきたというせいもあるのだとは思いますが、「医師」ならなんとかしてくれるという甘えが、まだまだ強いのかもしれませんね。そのときの親が、もうだめだ!と感じたときが「いざ」でよいのではないかしら。親の力量もそれぞれだし、無理をするのはよくないです。あとで「こんなことで来て!」と怒られても、親が怖いと感じるなら、病院に任せても良いと思います。怒られるのも、勉強ですよね。失敗もしつつ、少しづつ、度胸もついて、経験もつんで、親も成長していくのでは?と思います。
何時ごろ受診されたのでしょうか?外来の診察時間(おそらく9時)まで本当に待てなかったのでしょうか?> 安易に救急車を呼ぶなと、医療関係の人で言う人がいますが、医療の知識のない普通の私はどこまで見守ってどこからが危ないなんて確信できませんし、運ばれて「たいしたことなくてよかったね」って言えることのほうが良いと思うのですが、これもいけないのでしょうか^^;せめて、タクシーを利用するべきではないでしょうか?受診する前に病院に連絡する事も重要だと思います。そうすれば、行ってみたら2時間待ちなんて事もないでしょう。本当に重症で、生命の危機にあるような状態なら、他の患者さんより先に診てくれるでしょうし・・・たいしたことの無い人がたくさん受診して、待ち時間がながくなり、診療時間が短くなっているのが、現状ではないでしょうか?診察時間が短くなる事で、重症な疾患を見逃す・・・なんて事が起こらないように、本当に必要な人だけが救急外来を受診できるようになればいいですね。
あひるさん、こんにちわ。> 何時ごろ受診されたのでしょうか?> 外来の診察時間(おそらく9時)まで本当に待てなかったのでしょうか?初めての発熱で救急車を呼んだのは午前3時くらいだったと思いますが。2歳の時の救急外来受診時は、亭主も一緒に帰省していたので、たたき起こして朝6時ごろに連れて行きました。
みなさま、こんにちはひなたと申します。私は過去何度か救急車を利用させていただきました。一度目は一人目の子の熱性けいれん。夜中に続けざまに起こして、夫の運転で救急病院へ行き応急処置をしていただきました。でも、翌朝、救急で先生にお話していただいた以上の予想外の症状を起こしてしまいました。夫は既に出勤していて、大人は私一人でした。運転はできますが、とても冷静に運転する自信がありませんでしたし、タクシーを呼ぶ心の余裕もありませんでした。時間的にも診療時間内でしたが、私は救急車を呼びました。そのまま入院となりましたので、私自身その選択に後悔はありません。それまで順調に成長していた子なので、自分の予想を超えた症状を起こした我が子を前に、冷静な判断をすることは不可能でした。そのことを経験した結果、同じことが起こっても今なら冷静に自分で車を運転するなり、タクシーを呼ぶなり外来受付で大丈夫か否かの判断もできると思います。ある程度のことは、いろいろ勉強してきた自信もあります。高熱にも安易に坐薬を入れたりしなくなりました。(今ではゾッとしますが、無知とは恐ろしいもので、一人目の子が小さいときは安易に使用していました。)救急車に限りがあり、本当に必要な方に利用していただきたいと思いますが、その「本当に必要な方」という判断、線引きは難しいと思います。ちなみに・・それ以降、私が救急車を利用させていただいたのは、こどもの深刻なケガの際でした。これも救急車にお願いするほかなかったと今も思っています。私の住む町では、救急車を呼んで怒られるなんてことはありません。そんなふうに怒られることがあったため、本当に必要なときに119番にかけることをためらうようなことがあってはいけないとも思うんです・・。救急車を呼ぶタイミング・・本当に難しいですね。
ひなたさん、こんにちわ。> 運転はできますが、とても冷静に運転する自信がありませんでしたし、> タクシーを呼ぶ心の余裕もありませんでした。私が救急車を呼んだときは、亭主が寝ていました。起こして連れて行かせればよかったと、今考えれば思いますが、あの時点では冷静さがなかったのだと思います。> 救急車に限りがあり、本当に必要な方に利用していただきたいと> 思いますが、その「本当に必要な方」という判断、線引きは難しいと思います。私にもそういった思い(本当に必要な人に・・・)はあります。本当にその必要な・・という部分の線引きが難しいです。> 私の住む町では、救急車を呼んで怒られるなんてことはありません。> そんなふうに怒られることがあったため、> 本当に必要なときに119番にかけることをためらうようなことがあってはいけないとも思うんです・・。同感です。私は早朝の救急外来で「熱では死なない」といわれて以来、(救急外来では熱ぐらいではとりあわない)という思いが出来ました。これはあくまでも、私の思い込みかもしれませんが。重篤であるか否か見分けられない私にとって医師にみてもらうことが必要であると判断し、連れて行ったにもかかわらず、そういう対応をされては、次回夜間などに何かあってもそこへ連れて行くことは避けたいと思うようになります。以前はかかりつけの小児科医師も夜間電話にて対応してくださっていましたが、病院の体制が変わり、電話も繋がらなくなりました。この医師との関係については前レスにあるように、次回受診した際に、緊急時の対策を話してみようと思っています。救急車を呼ぶときに「近所に音が迷惑かも」と思ったりするときは、意外とまだよゆうがあるときなのかなと、今思います。すべてがコトが終わってからですけれど、余裕を持って考えることができない時に冷静さを持ちたいと思うのは理想であり建前で、実際は多少なりとも冷静でなくなり取り乱してしまうのが自分なのだなと思います。
> 私は早朝の救急外来で「熱では死なない」といわれて以来、(救急外来では熱ぐらいではとりあわない)という思いが出来ました。あくまでも、「発熱だけ」の場合ですが・・・救急外来に行く必要は無いと思います。乳児は別ですが・・・救急隊員や医師は「このくらいで・・・」と思っても口にだす人は少ないでしょう。
本当に、タイミングって難しいですよね。「様子を見る」って、いったい何時まで?どの程度まで?というのはいつも悩みます。ところで、私は保険は生協の共済にはいっています。そこでは電話による健康相談を受けてくれるので、何かと助かりますよ。前に相談したのは「息子の鳩尾にグリグリしたものがある!?」でした。自分にはないのでびっくりして、でも病院にいくのも躊躇われたので聞いてみたところ「ホネです」あっさり。あとで私の母には「私もあるわよ〜」と言われてがっくり。。。何か、そういった相談先を探しておくのもひとつだと思います。
ぴょんさん、こんばんわ。> ところで、私は保険は生協の共済にはいっています。> そこでは電話による健康相談を受けてくれるので、何かと助かりますよ。そうですね、受診すべきか否か、急ぐべきことなのかほうっておいて良いものなのか、助言してくれる人や相談先があるとよいですよね。
みなさん、こんにちは。 まだ、全国どこでもというわけではないのですが、小児救急電話相談事業(#8000)というものも始まっています(http://plaza.rakuten.co.jp/morimorikids/5000等、検索するといろいろ出ます)。 こういうのもどこでも利用できるようになるといいですね。(これはこれで運用でいろいろと問題点は出てくるでしょうけど…)
> 安易に救急車を呼ぶなと、医療関係の人で言う人がいますが、全般的に見て医師は非常識な人間が多いです。医科大学を出てすぐに研修医として大学病院やその大学病院とつながりのある地方の大病院へ赴任し、大学出すぐの新卒に「先生、先生」と周りの人間が呼び、それが一生続くのです。財務省から地方の税務署に出向してくる税務署長が非常識なのと同じですが、どんな人間でも自分が偉くなったような錯覚に陥るのはムリもありません。医科系では一般教養はほとんど教えられていないそうですから、ここらにも原因がありそうです。救急車で病院へ行くと最優先で治療が受けられるから、救命救急センターでもない限り病院側としては迷惑なのでしょう。それを露骨に言葉に出してしまうことからも良識に欠けているというほかはありません。
クスリ嫌いの父親さん、こんばんわ。> 全般的に見て医師は非常識な人間が多いです。かなり過激な発言ですね^^;中には私が受けた対応のしかたをするような、医師がいることは確かですが、医師も人間でありますし、いけないと分かっていても、そのときの感情や体調に左右された発言をすることもあるでしょう。医師だからこそ抑えて欲しいとは思いますが、病気の子供を目の前にして冷静さを失っている私が言えたものではありませんしね。> 財務省から地方の税務署に出向してくる税務署長が非常識なのと同じですが、どんな人間でも自分が偉くなったような錯覚に陥るのはムリもありません。確かに「何様?」という態度の医師はいるでしょう。しかし、本人のせいだけとは言いがたいところもありますよね。「自分が偉い」と感じさせてしまうシステムにこそ欠陥があるように思います。それを好んでいる人がいることも確かですね。> それを露骨に言葉に出してしまうことからも良識に欠けているというほかはありません。言葉や言い方を選んで対応してくれるようになるには、何が必要なのでしょう?医師でいる期間でしょうか?知識でしょうか?世の中には様々なタイプの医師がいます。それぞれ好かれていたり嫌われていたりするでしょう。私が支持する医師を一人の幼稚園ママ友達は「嫌い」と言いました。それは、人間としてではなく医師として嫌いだとも言っていました。その医師を頼りにしている私には理解できません。医師が千差万別なように患者も千差万別、医師の発する一言に対する反応も千差万別・・・。ますます、難しくなってきました。悩みが尽きません。
こんばんは。医者だから非常識…?医者じゃなくても非常識な人間はたくさんいます。息子が高熱が出て、まだ新米ママだった私は夜中にかかりつけの総合病院に電話をしました。今思えば、‘ただの高熱’です。最初は看護士さんが様子を聞いてくださっていたのですが、途中で当直の医師が電話に出てくださいました。その医師は「心配ないと思いますよ、でもお母さんが心配で、僕が診ることで安心できれば連れて来て良いですよ」とおっしゃってくださいました。私はその‘いつでも診てくれる’状態で安心しました。その総合病院は、医師も看護士も良心的だし‘優しい’方ばかりなんです。一度、他の総合病院にかかった時に、感じのわる〜い看護士に当たりました。態度も口調も荒くかなり気分が悪かったです。診察の順番が回って来たら、医師もかなり感じが悪いし、人間として‘なんだ?この人は…’と思う様な医師でした。きっと病院の雰囲気や教育方針でその差があるのでしょうね。非常識な医師もいるけれど、親身になってくれる医師もいます。そういう医師に出会えると良いですね。( 携帯からの投稿です )
自分が産んだ子供が病気になる事が、こんなにも心配で苦しいなんて、今まで知りませんでした。だから救急でお医者さんにやさしく「お母さんそんなに心配そうな顔をしないで、大丈夫ですよ」と言われた時は、不安と緊張がとけて涙が出てきました。40度以上熱があれば、生死に関係なくても、肉体的にも精神的にもかなり苦しいわけで、そういう子供に一言「大丈夫?がんばってね」と声をかけてくれる優しい先生に私もお世話になっています。以前かかっていたお医者さんは「熱の高さと病気の重さは関係ない」としきりに言ってましたが、娘が肺炎である事すら気付きませんでした。この子がこの後重症になると気付かない医者がいるから後悔する事にはなりたくないと思うのだと思います。最初からあっちの病院であの先生に診てもらえばよかったという事が命取りになる前に。
ジャスミンさんこんにちは。本当に子供の心配は尽きませんね。息子が大病をしてから、私はとても心配性になってしまいました。‘たかが発熱’でも悪い方悪い方へと考えては不安になってしまいます。こちらに参加されているお母様方はとても皆さんしっかりなさっていて、正直戸惑います(私はダメだな―と言う意味で)‘決断したら腹をくくりましょう’とアドバイスを頂いたりしましたが、きっと私には無理。その都度‘これでいいのか、もしも何かあったら…’といつまでも迷ってしまうと思います。救急車を呼ぶタイミングにしても、白目を向いて痙攣している我が子を前に‘これはただの熱性痙攣だから、救急車を呼ばなくても大丈夫’‘もっと急を要する人に救急車を譲らなきゃ’なんて冷静な判断は出来ないと思います。私がまだまだ未熟だからなのでしょうが、一度怖い思い(息子の大病)をしたら、なかなか勇気を持つことは難しいです…。( 携帯からの投稿です )
春さん、こんにちは。> 救急車を呼ぶタイミングにしても、白目を向いて痙攣している我が子を前に‘これはただの熱性痙攣だから、救急車を呼ばなくても大丈夫’‘もっと急を要する人に救急車を譲らなきゃ’なんて冷静な判断は出来ないと思います。 熱が出て(熱が出てなかったらなおさら)痙攣している時は、救急車を呼んで病院にかけつけるべき状態だと私は思います。ただの単純性熱性痙攣かどうかはわかりませんし、痙攣がおさまって眠っているように見えたとしても意識を失って昏睡しているのかもしれません。熱は高くて苦しそうにはしていても、意識もしっかりしていて、水分もとれている時とは異なるでしょう。 タクシーでかけつけてもと思われるかもしれませんが、痙攣に関しては一瞬後にどのような状態になっているかはわかりませんし、タクシーには酸素吸入もありません。ABC救急だって救急隊員ならではの部分があると思います。
ちびトトさんこんにちは。アドバイスありがとうございますm(_ _)m育児書などを見ると、基本的に熱性痙攣は心配ないと書かれていますよね。もし熱性痙攣を起こしたら、体を横に向け、着衣をゆるめ、痙攣の時間を計り…ナドナド書かれていると思います。でもちびトトさんがおっしゃるように、これって‘単純な熱性痙攣だった場合’の対処法ですよね。痙攣を見て、単純なものなのか急を要するものなのか判断なんて出来ませんよね。なので私はすぐに救急車を呼ぶと思いますし、私が不在時にもし痙攣が怒ったら救急車を呼ぶ様に家族にもお願いしてあります。(過去に一度熱性痙攣を起こしたので)救急車を呼ぶタイミングについて私が思うのは、明らかに、‘これは緊急じゃないだろ―’と言う状態以外、救急車を呼ぼうかな…と思ったら迷わず呼んで良いのではないでしょうか?緊急か緊急じゃないかなんて素人には分からない訳だし、その人によって見方が違うだろうし。親が見て‘ぐったり’だと感じても、医師がみたら‘この程度で…’と言う相違もあるかも知れません。確かに‘もっと重篤な方に救急車を回そう’と言う考えは正しいですし、常にその気持ちは持ち合わせていなければいけないと思います。ただ、その‘判断’を誤り、手遅れになる様な事があっては取り返しが尽きません。常識の上で‘救急車を呼ぼう’と思った(感じた)のなら、その時は迷わず呼ぶべきではないでしょうか?( 携帯からの投稿です )
春さんこんにちわ本当によくわかります。私も同じです。怖くて仕方がないです。家も痙攣を2回経験しましたが、おちついて時間を計らなければいけないというのはよくわかっているんです。わかっていながらも子供がどこか遠くへ行ってしまうのではないかと思って、ゆさぶって、ほっぺをたたいて、正気に戻させようとしてしまいます。(やってはいけないとしっているのですが)今度なった時は、じっと痙攣を見ながら時間を計れるか、自信がないです。主人が家にいなくて怖くて119に電話をしました。症状を聞かれて、どうしますか?救急車出しましょうか?どうしますか?私はためらって、やっぱりいいですといってしまいました。父が亡くなったとき、母はずっと様子を見ていました。いつ救急車を呼べばいいのかわからず、朝お医者様に診てもらったばかりだし、というのもあり、結局、失禁して初めて救急車を呼び、そのまま意識は戻りませんでした。一刻一秒を争うようになってから呼んで、間に合うのでしょうか?痙攣が止まらなくなってから救急車を呼んで本当に大丈夫なのでしょうか?最悪の事態になった場合誰も責任は取れません。誰に文句を言っても元には戻りません。残るのは自分への後悔だけです。親の六感を信じていきましょう。慎重でいいんですよ。きっと。
ジャスミンさんこんにちは。レス、ありがとうございますooそうですよね、慎重に越した事はないですよね。以前に私は、周りの人に「心配しすぎ」とか「神経質」とか言われ、悩んだ時期もありました。周りにそう思われたくないがために(?)自分の判断を無視し、「もっと早く受診すれば良かった」と悔やんだ事がありました。それ以来、アドバイスは簡単に出来るけど、責任に関わる事を軽々しく他人に言うのはやめようと思いました。また、我が子の事は自分の目でみて、触って判断すると決めました。もちろん周りの人の意見はきちんと聞くし、アドバイスはありがたくお受けします。でも決定打は私が打つぞ!と言う方針にしました。救急車も私が必要と感じたら、ためらわず呼びます。「もっと重篤な方に…」と躊躇したがために、我が子が手遅れになったら元も子もないですから。だだ、どの程度で救急車が必要かと言う事を、我が子を観察しながら学ぶ努力はします。救急車が足りない現状で、本当に見直さなければいけないのは、小さい子を持つ親より、別の人の様な気がします。こんなに皆さん必死に考えているのに、タクシー代わりに使うなんて人の気が知れませんよね!!育児は心配が尽きませんが、楽しい事の方が100倍くらいあります。お互いに笑顔で頑張りましょうね/( 携帯からの投稿です )
春さん、こんにちわ。> 医者だから非常識…?医者じゃなくても非常識な人間はたくさんいます。そのとうりですね。> きっと病院の雰囲気や教育方針でその差があるのでしょうね。> > 非常識な医師もいるけれど、親身になってくれる医師もいます。> そういう医師に出会えると良いですね。すべての医師に、患者の家族などの心情を思った発言をして欲しいと願っても、無理があるかもしれませんが、せめて、傷つけたりさらに不安をあおるような発言は避けて欲しいです。自分や子供にあった医師に多くめぐり合えると良いと思います。
少々過激な発言だったでしょうか?ここへの書きこみはお母さん方が多いからでしょうが、男のわたしからすれば医師への心証にもっと想像性をもち、外部へ責任を追及して欲しいとおもいます。内的(自分の中で)に解決しようとせずに。人間は第1に守るものが命だとおもいますが、その次はお金(権威や保身も含む)です。命の保障が得られたらお金(権威や保身も含め)を守るのが当然の成り行きではないでしょうか?とくに出来高制で経営を続ける開業医はとくに金への執着は強いです、常勤の看護師さんをパート扱いにしてまで自分の儲けを増やそうとします。「あの先生は善い先生だ」、と思う前に「あの先生の悪いところはどこだろう」と想像性を働かせることが庶民(弱者)の大きな武器にもなります。そこのような事を評論家の佐高信さんは「想像性の貧困」と呼んで警鐘を鳴らしています。今日も図書館で「インフルエンザの世紀」という本を読んでいたら、ウィルス性の病気の専門医である先生の著書には「タミフル」は副作用のない良いクスリだと書いてありました。使用(試される)される患者に関係なく開発に携わった人からすれば良いクスリなのでしょう。原爆を開発して、その被害を想像または検証できない科学者といっしょです。この先生の診察を受け、もしも心証がよかったらためらわずクスリ(タミフル)を服用してしまうでしょう。人間なんてそんなモノなんです。わたしの地元の市立病院では、医療ミスの決着がつき、患者(被害者遺族側)に損害賠償金が払われたようです。たったの2千万円余りです。人ひとりの命が医療によって救われることなく殺されたのです、この結果がこの金額です。だから「疑う事」と「怒る事」を弱い立場の患者は忘れたらいけないのです。
> 「あの先生は善い先生だ」、と思う前に「あの先生の悪いところはどこだろう」と想像性を働かせることが庶民(弱者)の大きな武器にもなります。こういう風に人を見ることは反対です。また人にすすめることではないと思います。そういう姿勢を保っていては、逆に見えるものも見えなく、人間関係もギクシャクしてしまうのではないでしょうか?いろいろ勉強なさって、いろんな知識をお持ちのようですが、本や記事、一般論など、ご自身の体験から出た言葉ではないような気がします。クスリ嫌いの親さんが、今まで出会われたのは、そんなにひどい方ばかりだったのでしょうか?受けた治療はそんなにひどいものだったのでしょうか?そうだとすれば、本当にお気の毒に思いますし、このような発言も仕方のないことなのだと思います。今後、もし医療機関にかかることになるなら、よい医師にめぐり合いますことをお祈りします。非常識な医者もいるでしょう、でも、懸命に頑張ってくださっている医者もたくさんいると思います。ひとくくりに、『医療は〜』『医者は〜』で、論評を進めていくのは、猜疑心をまだ持っていない方をより惑わせると思います。怒りは、時に自分自身を苦しめます。不必要な怒りや疑いは持たないほうが良いと思います。医者の言葉を鵜呑みにしないですむよう、普段から自分自身で勉強しておくこと、アンテナを常に張っておくこと、は大切だと思いますが、これは「疑う」というのとは違うと思います。とても、勉強になりそうな、クスリ嫌いの親さんのコメント、「こういうこともあるそうですよ、お気をつけてくださいね。」ぐらいで、お話をしていただけたらと思います。
ほくママさん、みなさん、おはようございます。> > 「あの先生は善い先生だ」、と思う前に「あの先生の悪いところはどこだろう」と想像性を働かせることが庶民(弱者)の大きな武器にもなります。> > こういう風に人を見ることは反対です。また人にすすめることではないと思います。> そういう姿勢を保っていては、逆に見えるものも見えなく、人間関係もギクシャクしてしまうのではないでしょうか? ほくママさんと同意見です。 タカ・ハトゲーム(http://civitas.e.yamagata-u.ac.jp/evogame/lectures/evogame-intro/No.3.htm)というのをご存知ですか?簡単なルールで得点を競うゲーム(進化論の中から出てきたそうです)なのですが、「時にハト、時にタカ」というタイプが勝利を得られやすいのだそうです。 現実世界でも、角突き合わせているばかりでも、軋轢を恐れ服従してばかりでもいけなくて、基本的には「ハト・ハト」の関係を目指しつつ上手に粘り強く付き合っていくことがよいようです(http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/99e_news.htm#peace や http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/98m_news.htm#game など)。
ほくママさん、皆さんこんばんは。ご批判をいただきましたこと真摯に受け止めたいとおもいます。ご気分を害されたようでしたらお詫びもうしあげます。ここに書きこみに来られる方はお母さん方が多いようなので、父性として(私心がほとんどですが)の物の見方を書いたのですが、少々度が過ぎました、反省しております。だいぶスレッドとは外れてしまっていますが、少々言葉足らずで誤解を招いた部分もありますので、お返事だけさせていただきたいと思います。> こういう風に人を見ることは反対です。また人にすすめることではないと思います。> そういう姿勢を保っていては、逆に見えるものも見えなく、人間関係もギクシャクしてしまうのではないでしょうか?これは信頼がおける知人や友人、身内にまでもということではなく、世の権力者や資本主義社会で言うところの支配者に対しての基本的な考え方です。> いろいろ勉強なさって、いろんな知識をお持ちのようですが、本や記事、一般論など、ご自身の体験から出た言葉ではないような気がします。わたしは教養がないと自覚しておりますので、知識で武装(守る)するしかないのです。また情報を持つことや操る(利用する)ことは自分自身を守るとても大事なことです。> クスリ嫌いの親さんが、今まで出会われたのは、そんなにひどい方ばかりだったのでしょうか?> 受けた治療はそんなにひどいものだったのでしょうか?> そうだとすれば、本当にお気の毒に思いますし、このような発言も仕方のないことなのだと思います。わたしが診てもらった医療機関で良心的だった医師は何人かいます。顔の骨を骨折したときに、プレートを埋める手術と術後のケアにも相談に乗ってくれた形成外科の女性の医師は人間的にも尊敬できる方でした。入院中の回診時間外にも疼痛などの痛みの相談に応じて頂けました。その時、看護を献身的に務めてくれた看護師さんは現在わたしの連れ合いです。また花粉症でお世話になった内科の医師(男性)はクスリの効能と副作用のバランスを、クスリ一つひとつについて全ての患者さんに説明していました。クスリの説明には出来高払いの医療報酬は得られません。こういうことに大切な診療時間を割いてくれる先生は信頼がおけるとおもいます。両医師ともいやな顔ひとつとせずにです。反対に質問でもしようものなら、「素人が何を言うか!」のごとく頭ごなしに自分の意見を押し通す医師もいます。子供の事で、セカンドオピニオンにより危うく助かったことが二度もありました。知識と体験からの発言です。> 非常識な医者もいるでしょう、でも、懸命に頑張ってくださっている医者もたくさんいると思います。> ひとくくりに、『医療は〜』『医者は〜』で、論評を進めていくのは、猜疑心をまだ持っていない方をより惑わせると思います。惑い判断に迷うからこそ良否の選択肢がひろがりより良い決断に結びつくと考えます。迷わずに単一指向で受け入れるほうがリスキーだとおもいます。> 怒りは、時に自分自身を苦しめます。不必要な怒りや疑いは持たないほうが良いと思います。> 医者の言葉を鵜呑みにしないですむよう、普段から自分自身で勉強しておくこと、アンテナを常に張っておくこと、は大切だと思いますが、これは「疑う」というのとは違うと思います。猜疑心とはちがい、ねたむ必要まではないですが、支配者、権力者へは「疑う事」は必要です。医師のいう言葉(情報)を疑うということです。時に洞察や監視することも必要です。医師が必ず正しい情報を提供しているとは限らないということです。裏には製薬メーカーや医師会、厚労省の思惑が働いている情報操作もあるということです。いくらアンテナを張っていても防ぎきれないものはありうるのです。疑う事で「ピン」とくるということもあるのではないでしょうか。よくわかる例として石鹸VS合成洗剤があります。どちらの研究者(評論家)もお互いに環境汚染や肌に悪いと主張しています。どちらをとるかは自分で情報を収集して選択するしかないのです。民主主義の根底には自分で選んだ責任は自分にあるのです。> とても、勉強になりそうな、クスリ嫌いの親さんのコメント、> 「こういうこともあるそうですよ、お気をつけてくださいね。」> ぐらいで、お話をしていただけたらと思います。今後そのようなやわらかい表現ができるようにしていきたいとおもいます。他のスレッドでのレスに「医は仁術」ということを書きましたが、医師に対し寝食をせずに人助けに従事しろと言う事ではありません。医療の現場においても医師の活動においてもいろいろな制約・制限のなかで働いて(動いて)いるわけですから、そのなかでいかに患者(弱者)の立場にたってすすめられているかということが問題になると思います。資本主義社会のなかで医療や福祉は弱者救済の手段であるわけですが、その手段にもまた救済が必要であるなら弱者にとって絶望ですらあります。そんな事の無いように自分を守る事と同時に社会の中の一個人としてできる事は何かと考えていけたらすばらしい事だと思っています。
クスリ嫌いの親さん、こんばんわ。人が人を信じられなくなったり、疑わずにいられなくなることは、とても悲しいことだと思います。救急車を呼ぶのだって、たとえどんな医師が待ち受けていても、何とかしてくれる(最善の治療をしてくれる)と思うからですし、すべての医師に疑いを持つと言うことは、医療自体が成り立たなくなると思います。クスリ嫌いの親さんなりの考え方を書いてくださったのだとは思いますが、内容は分かりますが理解はできません。人間は不思議なもので「プラシボ」でしたか?偽薬で病気が抑えられてしまうことがあるみたいに、信じることってすごいことだなぁ、と思うことが多々あります。医師を疑うということは、その医師の処方も信じられないということになり、そんな状態で薬を飲んでも効果が得られないような気がします。初めて処方された薬に疑問を持って、自分なりに調べて分からない点を処方した医師に問うとか、他の医師に相談するといったことは私もしますが、最初から疑っていたのでは話にならないように思います。> わたしの地元の市立病院では、医療ミスの決着がつき、患者(被害者遺族側)に損害賠償金が払われたようです。> たったの2千万円余りです。> 人ひとりの命が医療によって救われることなく殺されたのです、この結果がこの金額です。遺族の方は想像もつかないほどの思いをされたと思いますが、私がもし家族を医療過誤によって失ったとして裁判で同じような結果になったとしても、気になるのは「金額」ではないと思います。医療過誤だったと病院が認めたか否か、認めたならば改善策をとるのか、どういった改善策でどのように遂行されていくのか、そちらの方だと思います。奇麗事だと思われるかもしれませんが素直にそう思ったので書かせていただきます。
薬嫌いの親 様春と申します。こんばんは。薬嫌いの親さんは、良い医師、信頼出来る医師に出会えていないのですね。‘悪いところを探せ…’って、わざわざそんな事したら安心できるものも出来なくなりますよ―。善いと思っている医師が出す薬は何でも飲んでしまう…と言う様なことも書かれてありましたが、自分が不信に感じている薬を、その医師が出したからという理由で簡単には飲ませませんよ。納得行くまで質問しますし、納得行かなければ別の薬を処方して頂きます。特にこちらにいらしているお母様方は、勉強熱心でいらっしゃるからそうだと思います。薬嫌いの親さんには、私たちが言っていることは詭弁に聞こえるかも知れませんが、善い医師はいます!!想像性が希薄だと言われても、私は人を信頼できる人間でありたいです。薬嫌いの親さんが、心から信頼できる医師に出会えます様に…。( 携帯からの投稿です )
春さんこんばんは。> 想像性が希薄だと言われても、私は人を信頼できる人間でありたいです。わたしには祖母の代から信仰している宗教がありますので、精神の浄化という意味で春さんの仰ることにとても癒されるおもいです。(わたしは直接関係ないですが会社において理不尽な人事異動があり道理が通らないこともあるのだと、精神的に荒んでいたこともあります。)春さんが仰る人間同士信頼し合える社会の中で生きれるとしたら幸せですが、これは人間が本来善であるという前提において成り立つ事だと思います。資本主義社会では西洋文明が基礎になっていますから、人間の生業においては性悪説が基本です。信じる事が悪政に導くようなことが現実に起る、「由(よ)らしむべし知らしむべからず」と言う言葉もあります。あれよあれよという間に酷い目に遭うのは結局信じてついていった弱者(庶民)です。一般論ではこういうことになりますが、良い医師との出会いについては時間差で春さんのレスが先に立ってしまいましたので、ほくママさんへのわたしのレスをお読みください。
薬嫌いの親 様レス、ありがとうございます。私は難しい事は分からないし、単純な言葉でしか気持ちを表せませんが、思う事を書かせて頂きます。確かに、誰もが信頼しあえる世の中であれば犯罪は起きないだろうし戦争だって起きないかも知れません。私もまだ未熟な大人ですが、過去に人を信じてバカをみた事もあります。でも、また人を信じてしまう…。誰に対しても、もちろん医者に対しても‘信じる気持ち’がなければ前に進めない気がします。私は苦しんでいる我が子を見守る事しかできません。治る事を祈るしかできません。やはりその手助けをしてくださるのが医者だと思います。そんな時に、その医者さえ信じられなくなったら助かる子も助からない気がします…。私は日頃から我が子をよく観察し、病気や薬の知識をつけると言う最低限の努力をしています。私は、医者個人の欠点を見つけ、それを武器にするのではなく、自分の知識を武器にします。目的は我が子を救う事…なのですから。( 携帯からの投稿です )
薬嫌いの親さん、春さん、みなさんこんにちは。書き込みをしようか迷ったのですが・・・思ったことをつれづれ書いてみようと思います。 薬嫌いの親さんがおっしゃっていること、私は何となくわかる気はします。薬嫌いの親さんが書いたとおり、男と女の感覚の違いみたいなものはあるような気がしますが。 私事で恐縮ですが、出産前は某大手企業で男性にまじって数少ない女営業マン(ウーマンかな)をしていました。その時に思ったのは、今の男性中心の社会はまさに弱肉強食だということです。相手の弱みにつけこみ、自分の利益を最大限にすることが社会を生き抜く術になっている気がします。もちろんそうでない人もいますけど、そういう人が評価されるし、そういう人が大部分です。 ですからそれを医者の世界にあてはめると・・・そういう医者もきっと多いんだろうな、と。医者を見たら疑ってかかれ、ってのはちょっと言い過ぎのような気もしますけど、でも慎重に見極める姿勢はとても大切だと思います。 私は子供を生むまで、あまり医者の存在にについて深く考えたことはありませんでした。医者の世話になることがほとんどなかったので。子供ができて、何人かの小児科医に会って、信頼できる医者を探すことが難しいことを実感しています。特に予防接種について意見がぶつかり、つっけんどんになる医者が多く、きちんと話を聞いてもらったためしがありません。そういう意味では小児科医に対しては、私はまず疑いの心で接しているような気がします。 皆さんの言うとおり、私も医者ときちんと話し合えるだけの知識を身に付けたいと思っていますし、こちらの話をきちんと聞いてくれる医者に早くめぐり合えたらと思います。皆さんも表現の違いこそあれ、思いはきっといっしょなのでしょうね。
こんばんは、かばきちと申します。お気楽ママさん、救急ではいやな思いをされてしまったようですね。同じ「熱では死にませんよ」と言うのでも、言い方ひとつですよね。お母さんを安心させるように言ってくれるのか、それとも(これくらいで連れて来て…)と心の中で思いながら言うのか。ところで、消防署で救急救命講習というのを受けられるのをご存知でしょうか?どこの自治体の消防署でも行っているはずなので、お近くの消防署に問い合わせされると、日程などを聞くことが出来ると思います。私は前に住んでいた町で、母親向けの口座として開催していたのを受講しました。主な内容は、人形を使った心肺停止時の人工呼吸や心臓マッサージの実習で、救急隊員の方から直接指導を受け、練習のあとにはテストもあり、「終了証」が発行されます。これはとても勉強になります。実際に役立つことがないのがベストですが、習っておくと、いざ、というときに頼りになると思います。1度受けたら終わりではなく、救命技能を忘れないように2年に一度程度は反復して受講するのがのぞましいとのこと。救急隊員の方がおっしゃっていましたが、心肺停止に陥った人がいた場合に、こういった救命法を学んだ人が誰か近くにいて、救急車到着までに人工呼吸と心臓マッサージを続けて行ってくれると、蘇生率が格段に違うので、なるべく多くの人に学んで欲しいとのことです。なお、子どもが心配停止に陥った場合は、大人より短時間で悪化してしまうので、1秒を争うこと、また、大人と同じ方法で心臓マッサージしてはいけないので、別な方法があることなども教わりました。また、講習の中では救急隊員の方のお話が直接聞けますので、実際の救急の活動内容など貴重なお話も伺えました。こういったお話を聞くことにより、救急車を呼ぶタイミングなども分かってくるように思います。私がこの講習の中で聞いた話では、実際に救急車を利用する中で常習的にタクシー代わりに使う人など、非常識な人がいるそうです。そして、その割合がとても多いのだそうです。中には、自分で身支度整えて、かばんに必要なものをきちんと入れて玄関先まで出て待っていたりとか。それから、救急車費用がタダなのは日本くらいと聞いたことがあります。詳しくは覚えていないのですが、有料の国が多く、費用もかなり高いので、おいそれとは使えないそうです。救急車を呼ぶタイミングは、とても難しいと思いますが、実際に救急車を呼ばなければならないとき、たとえばそのときに心肺停止に陥っていたら、何をしたらよいのか、ということも皆さんにあわせて考えていただけたら、と思います。
はじめまして。私も過去に2回救急車を使わせて頂きました。2度とも熱性痙攣で。私は、目の前で自分の子供の様子がおかしくなっていれば冷静でいられる親などいるのだろうかと思ってしまいました。そんなに、冷静でいられないから救急車に頼ってしまうのでは無いのかと思うのですが私の時は皆さん大変親切でした。親ってそういうものですよね?
かばきちさん、こんにちわ。> お気楽ママさん、救急ではいやな思いをされてしまったようですね。同じ「熱では死にませんよ」と言うのでも、言い方ひとつですよね。お母さんを安心させるように言ってくれるのか、それとも(これくらいで連れて来て…)と心の中で思いながら言うのか。まさにそのとおり。あの一言で落ち込みましたしね。> 私は前に住んでいた町で、母親向けの口座として開催していたのを受講しました。これまた私の知識不足ですね。そういう講座があるのはしっていましたが、「母親向け」というのが存在するのは知りませんでした。是非受けてみたいと思います。> 私がこの講習の中で聞いた話では、実際に救急車を利用する中で常習的にタクシー代わりに使う人など、非常識な人がいるそうです。そして、その割合がとても多いのだそうです。> 中には、自分で身支度整えて、かばんに必要なものをきちんと入れて玄関先まで出て待っていたりとか。ニュースでも取り上げられたりしますね。タクシー代わりに使った気はないのですが、そう思われてしまうのでしょうか?
お気楽ママさん こんばんわ。かばきちです。> これまた私の知識不足ですね。そういう講座があるのはしっていましたが、「母親向け」というのが存在するのは知りませんでした。是非受けてみたいと思います。> 私の説明不足で申し訳ありません。母親向けに常に開催されているわけではないのです。これは、町のお母さんたちで作るグループで、町を通して消防署に依頼して行ってもらった講座でした。ある程度の人数が集まれば、出張で講習を行ってくれることもあるようです。> ニュースでも取り上げられたりしますね。タクシー代わりに使った気はないのですが、そう思われてしまうのでしょうか?これは、難しいですよね。熱の高い子どもを抱えた親を迎えたとき、その親の様子を見ればタクシー代わりではないことくらい分かると思うのですが。でも、非常識な利用をする人が多いので、同じ類にとられてしまうこともあるのかもしれませんね。
> それから、救急車費用がタダなのは日本くらいと聞いたことがあります。詳しくは覚えていないのですが、有料の国が多く、費用もかなり高いので、おいそれとは使えないそうです。スレッドの趣旨からは外れそうですが、一点だけ。私は、日本も救急車を原則有料とすれば良いと思っています。金額は、安易な利用をためらうくらいでよい。そういう前提ながら、医師が診断して救急の必要性があったとすれば、手続きをして返金できるシステムにすれば良い。社会性があり、モラルがある方が、自制して救急車をよぶかどうかと自己責任で考える一方で、モラルのない人が、勝手放題というのは、あまりにも不公平だと思うからです。医療費も、救急は別口で考える。救急車で搬送されてきたのに、診断の結果、救急性がなければ、とりあえず患者全額負担。きちっとコストを認識させて、数ヵ月後に償還払い(手続きをして返金される)いかがでしょう。
> > 私は、日本も救急車を原則有料とすれば良いと思っています。> 金額は、安易な利用をためらうくらいでよい。> そういう前提ながら、医師が診断して救急の必要性があったとすれば、手続きをして返金できるシステムにすれば良い。> > 社会性があり、モラルがある方が、自制して救急車をよぶかどうかと自己責任で考える一方で、モラルのない人が、勝手放題というのは、あまりにも不公平だと思うからです。> > 医療費も、救急は別口で考える。> 救急車で搬送されてきたのに、診断の結果、救急性がなければ、とりあえず患者全額負担。> きちっとコストを認識させて、数ヵ月後に償還払い(手続きをして返金される)> いかがでしょう。haripo さま私も、まさにそう思っています。わたしの考えていることを代弁していただいたようで、ありがとうございます。タクシー代よりも高いくらいの金額設定があっても、本当に必要であれば迷い無く利用するのではないかと思います。たとえば、1回5,000円くらいとか。実際には、救急車1回の出動にはどれくらいの費用がかかっているのかわかりませんが、かなりの金額にはなるのではないでしょうか。それを全額とは言わないまでも、ある程度の部分は自己負担したっていいと思います。一部の非常識な人によって、無意味な使い方をされている現状は早急に何とかしなくてはならないと思います。そのために、瀕死の方のところに行く救急車が遅れるなどということはあってはならないのですから。消防署で、救急隊員の方の出動の様子をたまたま見たことがあります。合図がなってからほんの10秒ほどで車が出て行きました。日本の救急車の平均の到着時間は通報から6分と聞きました。それほどまで急を要するのは、やはり、命がかかっているからです。今はタダであっても、そこにかかっているコストが現に存在すること、医療関係者や救急隊員の方の努力があることを認識した上で、利用していただきたいと思います。
こんにちは。救急車を呼ぶタイミング、確かに難しいかもしれません。ですが、医師の「熱では死なない」という表現もかなり当たっていると思います。救急は本来「急を要するため」にあるのですから。私事で恐縮なのですが、この冬に実母がクモ膜下で倒れ、救急車で搬送されました。幸い、今は退院して日常生活を送るまでに回復しました。後で執刀医から聞いたのですが、出血の程度が酷く、死んでもおかしくなかったそうです。救急車が空いていて、すぐに運んでもらえたので「運」が良かった。とまで言われています。この一件以来、救急車とは急性の脳疾患や心臓疾患など一刻一秒を争う人が乗るもの。と私は理解しています。確かに、子供の急な発熱などで取り乱してしまうかもしれません。ですが、安易に救急車を呼ぶのはとどめたほうが良いと思います。また、救急外来は事前に電話を入れ、症状と経過を伝えてからの方がいいですよ。近所の総合病院の夜間救急は事前連絡の有無で対応を大きく変えているようです。小児救急の現状って↓みたいな感じなようですし・・・。http://blog.drecom.jp/nakomayunakomayu/archive/179
つばくろさん、こんにちは。> 救急車を呼ぶタイミング、確かに難しいかもしれません。> ですが、医師の「熱では死なない」という表現もかなり当たっていると思います。「熱では死なない」というのは確かにあっているのだと思いますが、その発熱の原因で死に至ることはあるわけですよね?この言葉を言われた時「もっと悪化してから来なさい」と言われたような気がしたのですが・・・。
レスの数があっという間に増えていて驚きました。皆さんの関心の高さが伺えますね。> > 「熱では死なない」というのは確かにあっているのだと思いますが、その発熱の原因で死に至ることはあるわけですよね?この言葉を言われた時「もっと悪化してから来なさい」と言われたような気がしたのですが・・・。これはみなさんもおっしゃってますが、結局は「言い方」の問題かもしれませんね。医者でなくても、誰でも気をつけるべきことです。こんな言い方をすれば、相手はどう思うか?そんな想像力もない人が「先生」と呼ばれる医者の中にいることがなんともやりきれないです・・。救急車を呼ぶタイミングの問題ではなくその時対応した医者の人間性の問題ではないでしょうか。ともあれ、みなさんのたくさんのレスを読ませていただき「救急車を呼ぶ」ことの重大性、必要性を深く考えることができました。
> レスの数があっという間に増えていて驚きました。> 皆さんの関心の高さが伺えますね。スレ立ち上げた本人も、反響の多さにビックリです^^;でも沢山の方がどう考えているのか知りたかったのでとても嬉しいですし。色々勉強することも出来ましたありがとうございます。<(_ _)>> ともあれ、みなさんのたくさんのレスを読ませていただき> 「救急車を呼ぶ」ことの重大性、必要性を深く考えることができました。このHPを見つけたとき、あぁ助けを求められるかもって思ってました。でも違いますね、自分で勉強して考えていかなければいけないことに改めて気がつきました。自分の大切な子供のため家族のために、医師任せにせず最低限の知識を持たなければならないのだと思います。そしてなにか緊急事態が起こっても、ある程度冷静でいられるように努力が必要だとも思いました。ふとした疑問から立ち上げたスレでしたが、皆様の叱咤激励・アドバイス本当にありがとうございました。これからも勉強していくつもりです。
こんばんわ。その場に立ち会っていないので、どちらがどうとは言えません。ただ、失礼を承知で書かせていただきますと、お医者さんの求める情報を伝えられたでしょうか?熱と体調不良でうろたえている様子を見透かして、「熱では死なない」と言ったのではないのでしょうか?と、私はどうしても考えてしまうのです。時間ごとの熱の変化(推移)や体調の記録・家庭での処置をメモしてお医者さんに渡すだけで、こういった事を避けられる可能性があると思うのです。また、病院によって救急に小児科が当たっていないことが多いケースもあります。そうなると、下手に診て間違った診断を下したくない心理も働いて小児科が確実に開いている「外来で」となってしまうと思うのですが。
つばくろさん、こんばんわ。> お医者さんの求める情報を伝えられたでしょうか?> 熱と体調不良でうろたえている様子を見透かして、「熱では死なない」と言ったのではないのでしょうか?確実にうろたえていたと思います。あの頃は初めての子供で、しかも初めての高熱で、夜中に急に発熱したわけではなく、経過を看ていたので、その経過はお話したと思います。レスで言われたように、やんわりと「おかぁさん、熱だけでは死にませんから大丈夫ですよ」と言われたのなら、安心できる言葉になるのですが、これは私の感じ方ですがね。一応電話連絡もして症状も話して「連れて来て下さい」と言われて「あぁ〜診てもらえる」と思っていたので・・・かなりグサッときましたよ。> また、病院によって救急に小児科が当たっていないことが多いケースもあります。そうなると、下手に診て間違った診断を下したくない心理も働いて小児科が確実に開いている「外来で」となってしまうと思うのですが。当直の先生が小児科の専門ではないということですよね?それは私も思いました。でも、下手に診て間違った診断を下したくないというなら、電話で連絡をした際に小児科へとか当直の先生が小児科はちょっと・・・。と言って貰えれば別の病院を探したと思います。まぁ、このときのことが教訓になって、スレ本題の救急車で運んでもらった時は「遠くてもいいので小児科の医師がいるところにしてください。」とお願いしたのを覚えています。初めての熱から救急車搬送まで1年ちょっとの間に、小児は小児科でというのが頭にありましたし。
>> また、病院によって救急に小児科が当たっていないことが多いケースもあります。そうなると、下手に診て間違った診断を下したくない心理も働いて小児科が確実に開いている「外来で」となってしまうと思うのですが。「誤診が怖いから小児科医が確実に居る外来で」ではなく、この医師は熱だけでは死なないから、あと三時間待って通常の診察時間に受診しなさい。救急外来は本当に重症な患者のためにあるのだから・・・と単純に怒っていたような気がします。たとえ小児科医でも熱が出てすぐに血液検査をしたり、レントゲンを撮ったりしないですよね?(あきらかに様子のおかしい時は別ですが)逆に熱が出るたびにレントゲン撮られたらイヤじゃないですか?熱が出てすぐに重症かどうかの判断をするのは小児科医でも無理なのではないでしょうか?
「熱」を出しているときは比較的小さい子(3歳ぐらいまでかな)なら、「ぐったりしている」様に見えます。これをすべて「ぐったりしている」と表現してはいけないと思います。夜間の遅い時間なら、まず家で解熱剤を使ってから、熱を少しでも下げたところで判断すべきだとおもいます。0.5度でも下がれば、水分を摂れることがほとんどだからです。水分さえとれれば、翌日の普通外来でいいですよね。解熱剤ひとつ使う余裕は親であれば必要だと思います。それすら、「どうしていいかわからない」では困るでしょうね。(「初めての子供の初めての熱」なら仕方ないかと周りも許してくれるでしょうが)